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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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     葛西紀明「原点の下川」  

 スキージャンプのW杯が11月22日、ドイツ・グリゲンタールの団体戦で開幕した。
世界最高峰の舞台に、今季も葛西紀明(42)=土屋ホーム=は姿を見せ、
団体は日本の銀メダルに貢献。
翌日の個人初戦も日本人最高の6位に入って会場の大喝采を浴びた。
初の海外W杯挑戦が17歳だった1989年12月。
骨折で欠場した94~95年を除き、実に25回目となる葛西の海外W杯挑戦が始まった。

 2月にソチ五輪の活躍で人気が沸騰、多忙な1年を過ごした。
夏の飛躍練習は11月初旬時点で「過去の3分の1以下。
30本飛んだかどうか」という少なさで、「昨シーズン良かったので、
そんなに崩れないという期待感もあり、
トレーニングできない不安があるので、どっちに転んでもおかしくない」と
複雑な心境を明かしていた。

 しかし小学生から跳び続ける経験の蓄積は紛れもなく世界トップ。
「(自身の)W杯最年長記録を更新して、世界選手権の金メダル !」と、
新たな目標に挑む意欲はまったく衰えない。
葛西の生まれた下川町では、11月18日に早くも初跳びが行われた。
その数日前に約40㌢の降雪があり、市街地から一望できる4台並んだジャンプ台のうち、
一番小さなミニヒルが使用可能になった。
葛西らを輩出した下川ジャンプ少年団の冬季シーズンもスタートした。

 「一番先にジャンプ台に行って、(台)を整備して誰よりも早く飛んだ」と、
葛西は少年時代を振り返る。
家からジャンプ台は目と鼻の先で、歩いていける距離だった。

 94年から少年団の専任コーチを務める伊藤克彦(47)は、
「子どもが歩いてジャンプ台に来られる距離感はすごいと思います。
車などの手段を使わなければ行けない環境であれば、まずやる子が少なくなってしまう。
練習する時間も極端に少なくなってしまう」とジャンプ台が街から近いメリットを話す。
真冬は零下30度にもなる土地柄だけにシーズンも長い。
さらに夜間照明が79年に設置され、日没後も練習できる環境が整った。
世界でも屈指のジュニア練習基地が、身近にあったのだ。

 葛西のコーチだった蓑谷省吾(57)は話す。
「僕はジャンプを飛んでいる経験値は、飛行機乗りの飛行時間と同じようなものだと
思っているのです。慣れですから本数を飛んだ方が、空中感覚がどんどん磨ける」。
下川に1日100本飛んだという桁違いの練習伝説が残る葛西だけに、
少年期に稼いだ豊富な飛行時間が、長い選手生命の基盤になっていることは間違いない。
(スポーツライター・岡崎 敏) 朝日新聞 記事

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  ノルディックスキーのW杯ジャンプ男子で
最年長優勝記録を更新し、笑顔の葛西紀明


      42歳「最年長V」  


 ジャンプ界のレジェンドと呼ばれる葛西紀明(土屋ホーム)が、
また歴史を塗り替えた。

 11月29日、フィンランドのルカで行われた男子個人第3戦(HS 142㍍、K点120㍍)。
272・2点で今季初勝利を挙げ、
自身の持っていた最年長優勝記録を42歳5ヵ月に引き上げた。

 W杯の優勝は、1月のバートミッテルンドルフ(オーストリア)でのフライングヒル以来。
 同点優勝のシモン・アマン(スイス)は前日に続いての連勝でW杯通算23勝目。
伊東大貴(雪印メグミルク)は18位、小林潤志、清水礼瑠飛(いずれも雪印メグミルク)、
竹内択(北野建設)は2回目に進めなかった。

 葛西は1回目にヒルサイズを軽く超える145㍍の大ジャンプ。
テレマークこそ入らなかったが、「年に数本」という会心の飛躍は首位に立つには十分な
飛距離だった。
2回目は、1回目135・5㍍で6位のアマンが144㍍をマークして首位に立った状況で迎えた。
強い向かい風が弱まる不利な条件の中粘ったが、飛距離は131・5㍍と伸びなかった。
「2位、3位・・・。どこまで落ちるんだろう」 諦めかけていた優勝を、電光掲示板で確認すると、
派手なガッツポーズを繰り返して喜びを爆発させた。

 今季第3戦で優勝を果たし、1月に打ち立てたW杯史上最年長記録を更新。
42歳5ヵ月での快挙に、同得点で優勝したアマンは表彰式でひざまずいて敬意を示し、
W杯最多52勝のシュリーレンツァウアーも式後に駆け寄って握手を求めた。

 全選手がほぼ同じ条件で飛んだ1回目に最長不倒をマークしてことで
「自信の階段が一つ上がった」という。
「自分が続けることで、みんながそれを目標に頑張ると思う」と常々話しているベテランが、
この優勝で他選手にとって、さらに高い壁になった。

 開幕3戦の好成績で、W杯総合順位でもトップのアマンと36点差の2位に上がった。
「ここまできたら総合優勝を狙っていきたい」。
長いシーズンは始まったばかりだが、抜群の安定感に裏打ちされた自信が、
力強い言葉を生んだ。

  「レジェンド高い精神力」  
 スキージャンプの葛西紀明がまた大記録を打ち立てた。
ワールドカップ(W杯)個人戦の最年長優勝。
42歳5ヵ月のベテランは、経験を生かし、昨季の勢いをそのまま保っている。

 今季W杯は団体2位でスタートし、個人戦は6位、3位、そして優勝。
インタビューで最年長で勝つ秘訣を問われ
「自分の能力とジャンプのスタイル、精神面の自信がある。
多くの経験があるのも理由だと思う」と答えた。

 全日本ジュニアコーチで葛西をよく知る下川町の伊藤克彦さん(47)は
「五輪メダル獲得で多忙な夏を過ごし、選手生活の中で一番調整できなかったと思う。
そこで優勝できるのはトレーニング以外の精神力とかが高いレベルで
安定しているからだろう」と話す。

 長く葛西を取材する札幌在住のスポーツライター岡崎敏さん(57)は
「かなりの練習不足で、休んでも当然だと思うが、
それでも休まず飛ぶところがすごい」とたたえていた。 朝日新聞 記事

 「葛西3位、安定感抜群 伊東は2位」  
 11月28日にフィンランドのルカであったノルディックスキーの
ワールドカップ(W杯)ジャンプ男子の個人第2戦(HS 142㍍、K点120㍍)では
伊東大貴(雪印メグミルク)が1回目に138㍍2回目に137・5㍍を飛び、276・1点で2位、
葛西紀明(土屋ホーム)が131㍍、136・5㍍を飛んで270・5点で3位に入り、
いずれも今季初の表彰台に立った。
優勝はシモン・アマン(スイス)が284・1点で今季初優勝、W杯通算22勝目を挙げた。
日本男子の複数選手が同時に3位以上にはいるのは9季ぶり。
W杯最年長勝利記録を持つ42歳の葛西は悪天候を問題にせず、健在ぶりを見せた。

 葛西は、1回目の5位から3位に順位を上げた。
今季2戦目で早くも表彰台に上がると、「よかった。安定感が抜群」と
満面の笑みを浮かべた。
2回目の飛躍とも、他の上位選手に比べると条件には恵まれなかったが、
1回目に131㍍を飛んで表彰台を射程内に据えた。
2回目は136・5㍍まで伸ばし、4人を残して首位に立つと、
テレビカメラに向かってVサインで喜びを表した。

 練習不足のまま迎えた開幕戦で6位に入り、不安を自身に変えたが、
さらに成績を上げた。
「まさか。びっくりしている」と驚きながらも
「条件が良くなくても安定したジャンプができているので、この先狙っていける」。
想像もしていなかった順調な滑り出しで、優勝も意識し始めた。

 昨季第2戦からの連続トップ10入りちょうど1シーズン経過した。
好成績を維持するのが難しい競技にあって、安定感が際立っている。
「ラージヒル、ノーマルヒルなら優勝(チャンス)が来るかもしれないし、
フライングなら勝気がする」。
自身が昨シーズンに打ち立てた41歳7ヵ月のW杯最年長勝利記録の
更新にも自信を膨らませた。

  「伊東 過去の栄光捨て、踏み出す」
 昨季第4戦以来となる表彰台に上がった伊東は「必死ですよ。
2回とも条件を生かせた」。 表情に喜びより、安堵感がにじんだ。
1回目は強い向かい風をうまくとらえ、138㍍を飛んで2位。
「内容も条件も良かった」という会心のジャンプに、珍しく小さなガッツポーズも見せた。
137・5㍍だった2回目も着地をきっちり決めてまとめた。

 17度目の表彰台。
慣れている場所で「必死」という言葉を繰り返した。
3シーズン前には4勝を上げてW杯総合4位。
表彰台にも9度上がったが、一層の飛躍が期待されたその後2シーズンは
負傷で1シーズン通じて戦い続けることができず、表彰台も3度だけに終わった。

 かつての好成績を「終わったこと」と切り捨て、
新たな自信を築くために取り組んでいる中での2位。
「まだこれというのをつかめていない」と慎重だが、
大きな一歩を踏み出したのは間違いない。
「具体的に優勝という気持ちにならないが、チャンスはあると思う」。
おぼろげながら3季ぶりの優勝も視野に入ってきた。  朝日新聞 記事

  「葛西5位 自己最長240・2㍍」  男子W杯スキージャンプ2月15日
 ノルウェーのビケルスンで個人第24戦フライングヒル(HS 225㍍、K点200㍍)が行われ、
日本勢では葛西紀明(土屋ホーム)が347・点で5位に入ったのが最高だった。
1回目は184㍍の13位で、2回目に自己最長の240・5㍍を飛び順位を上げた。

 セベリン・フロイトン(ドイツ)が436・7点で今季5勝目、W杯通算14勝目。
2位のアンデシュ・フアンメル(ノルウェー)が1回目251・5㍍を飛び、
前日の第23戦でペテル・ブレブツ(スロベニア)がマークした世界最長記録を1・5㍍更新した。

 伊東大貴(雪印メグミルク)は11位、栃本翔平(同)は13位、竹内択(北野建設)は19位、
小林潤志朗(雪印メグミルク)は24位、作山憲斗(北野建設)は25位だった。

  悔しさぶつけ大ジャンプ  
 葛西は2回目に自己最長の240・5㍍を飛んで溜飲を下げた。
「感覚も良かったし、風もつかんだ感じだった」。
強い向かい風にも恵まれ、後半の失速を抑えた大飛躍。
伊東の持つ日本記録を50㌢上回り、「大貴は悔しがっていた ?」と上機嫌で振り返った。

 1回目は184㍍。
スタートまで長い時間待たされ、集中しきれなかった。
しかし2回目は「その腹立ちをぶつけた」。
3位に入った前日に続く表彰台はならなかったものの、会心にジャンプだった。
世界選手権前の最後のW杯を「気持ちよく終われた」と前向きに話した。

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     「大木 聖子 さん」  防災教育で全国を回る地震学者

 ― 防災授業、子どもたちは大はしゃぎですね。
 「楽しい」のがコンセプト。
楽しければ子どもは行動に移します。

 ― 従来の避難訓練を変えるとは、どういうことですか。

 サイレンが鳴って「机の下に入りましょう」と放送が流れ、
校庭に避難するのが今までの訓練。
でも実際の地震は教室にいる時に起こるとは限らない。
私自身、小学生だった1987年に都内で千葉県東方沖地震を経験しました。
体育の時間で跳び箱を運んでいた時に大きな揺れが来て、
どうすればいいか分からなかった。
子どもが自分で危険を判断して身を守る行動をしなければいけません。

  ― 具体的にはどうしますか。

 まず1時限を使って事前学習をします。
身の回りの危険を考え、三つの「ない」を探す。
地震では、上や横から物が「倒れてこない」、落ちてこない、
移動してこない」場所なら死なない。
その後、緊急地震速報の音を流し、とっさに身を守る短い訓練をします。
あとは、音楽や家庭科かなど特別教室での授業中や掃除、
給食の時間などに10分程度繰り返す。
何度も体を動かすと、机の上の給食の皿より天井のエアコンの方が危険だと
子どもは自分で判断できるようになります。
意義を理解してもれえるよう、先生への研修もやります。

   「人に興味がある」

 ― 阪神大震災をきっかけに地震学者を志したのですね。

 生き物が好きで、子どもの頃は生態学者になりたいと思っていました。
でも、東京の家で自分は熱々の夕食をとりながらにニュースを見ていたのに、
テレビの向こうで、食べ物もなく、家族を探して泣き叫んでいる被災者の姿に衝撃を受けた。
その晩に「地震学者になる」と決めました。

 高校3年の時の担任の先生に、
「お前は人に興味があるから地震学者は無理だ」と言われたことがあります。
結局、その折衷案のような仕事に落ち着いてのだから、先生は正しかったと思います。

  ― 専門語をほとんど使わずに地震の話をしますね。

 分かってもらえるように話すことは昔から嫌いじゃありません。
大学院ではテコンドー道場に通っていて、勉強嫌いの男の子たちに地震の話をしました。
専門以外の人と触れる機会が多かったこともいまに通じているのかもしれません。

  ― ネットメディアに「美人すぎる地震学者」と取り上げられました。

  メディアは女性研究者を外見でもてはやします。
 地震・火山分野の研究に進む女性は少なかったので、
大学院の時から「女子が来た」とよく言われました。
自分ではあまり気にしていませんでしたが、
「大学の先生=白衣のおじさん」という世間のイメージと違ったので、
インパクトがあったのかもしれません。

 ただ、女性を強調したテレビ出演などの依頼は、お断りしていました。
カメラの向こうに地震で大切な人を失った人がいることをいつも忘れないようにしています。
これは、男だったとしても変わらない自分なりの一線です。

  「世が求める地震学」

 
― 講演では家具の配置や避難所のトイレ事情まで話しますね。

 アウトリーチを始めた頃は理学へのプライドがあって、
「防災のお姉さん」にはなりたくないと思っていました。
でも、一般の人や友人からは、予知できるのか、防災グッツは何が必要か、
家具はどう止めたらいいか、と聞かれる。
求められるままに知識を吸収して、今の形になりました。

 世の中が求める地震学と、学問としての地震学の間には大きなギャップがあります。
「社会地震学」みたいに、みんなが知りたいことに応える地震学を作りたいです。

  ― 防災教育の分野では、群馬大の片田敏孝教授や京都大の矢守克也教授など、
工学や心理学の立場で取り組む先駆者がいます。

 「命を助ける」ことを中心に置いて活動する、尊敬する研究者の方々です。
今夏には矢守研究室などと合同合宿も行いました。
防災は学際的な分野で、多様性が必要です。
心理、建築、工、教育など色々な武器を持った人が取り組むことで、
すき間を埋めていけるのだと思います。
「子どもに伝えるプロ」である学校現場の先生たちも、私にとって最高の仲間です。

  ― 防災行動の大切さはわかっても、なかなか実践できません。

 「知識があっても行動に移さなければ意味がない」と東日本大震災後に切実に感じました。
毎年、慶応大の授業で、学生に自分ができる地震対策を書かせています。
LEDライトを買う、ハザードマップを確認するなどと書いた約50人の学生に
翌週確認すると、実際にその通り行動した人は2人くらいしかいない。
ではなぜ、その2人は行動できたか。
聞けば、親が買った防災グッツが家にあったなど、外的要因がありました。
人が行動に移すためのファクターを探すのが今の研究テーマです。

  ― 「大切な人」の存在がファクターになると強く感じています。

 私自身、家族が増えることでより実感しています。
あの「つわり」を乗り越えて生まれてきた命なのだから、どんな命も無駄にしてほしくない。
大切な人を思って、一人ひとりが生き残ってほしいのです。

  大木 聖子
★ 1978年大阪生まれ。  東京都足立区で育つ。
  建築家の父と専業主婦の母の次女で祖父は宮大工。
  名前には「耳から聞いたことを言葉にできるように」と両親の思いが込められた。
★ 生き物が好きで、生き物に囲まれて育つ。
  中学2年の時、母親にもらった『教室ではおしえない地球のはなし』(島村英紀著)を読み、
 地球に興味を抱く。
★ 2001年北海道大卒。  06年、東大大学院で理学博士号を取得。
★ 13年、平安時代の貞観地震などを研究する
 産業技術総合研究所の穴倉正展さん(45)と結婚。
  「地震や津波で死者を出さない」と志を一つに。
 初デートは立川断層での地形観察、新婚旅行は宮古島で津波石を見た。
 「正しいと思ったら絶対に引かない、エキセントリック女性」と穴倉さん。
★ 東大地震研で広報の担当室長だった纐纈一起教授(58)は
 「実践者である前に研究者であることも考えて」と厳しい一言も。
  「でも、現場の先生とよく話し合って今の形にたどり着いたのは、彼女らしさかな」
★ 著書に『地球の声に耳をすませて』(くもん出版)など。

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    防災授業が終わり、児童たちと。
  ダンゴムシのポーズを学ぶ「じしんだんごむし」の歌の
振り付けをまねて、ポーズをとる
=岩手県大槌町の町立吉里吉里小学校
  


         「大木 聖子(さとこ)さん (36歳)」 防災教育で全国を回る地震学者

 10月下旬、岩手県大槌町の吉里吉里小学校。
 「どこが危ない ?」。
自分たちがいる教室の写真を見せながら、6年生に問いかける。
テレビ、蛍光灯、時計。
次々と声が上がる。
「そう、落ちてくるかもしれないよね。
地震が起きたらどうすればいい ? もし机がなかったら ?」。
教えていくのは、両手で頭を覆ってしゃがみ、床にひじをつく「ダンゴムシのポーズ」だ。

 「命を守るための地震学」を探検し、子どもたちに伝授している。
東日本大震災地の被災地だけでなく、南海トラフ地震や首都直下地震に備える
高知、東京など、依頼があればどこへでも飛び、伝授する。
連携する教育委員会は全国約10ヵ所。
教委からの講演の依頼も年間数十件に上る。

 2013年から慶応大准教授。
防災教育に携わる研究者はほかにもいるが、地震学をバックボーンにする人は多くない。
授業ではチョークを万力でギリギリと締めつけて割る実験を紹介し、
「地中で起こる地震の正体」と説明。
「強烈な揺れが15秒続いたらマグニチュード(M) 7の首都直下地震が来たと思って」
「沿岸でそれが1分続いたらM 8高台に逃げて」。
具体的な言葉で、地震の規模を自分ではかる目安も伝える。

 貫くのは、強い思いだ。
「私と会った人は、1人でも地震で死なせない」

 高校1年の時、阪神大震災が起き、「命を救いたい」と地震学を志した。
東京大大学院で地球の内部構造を研究していた04年、今度は新潟県中越地震が起きる。
本震を生き延びたのに地震で家の下敷きになって亡くなった少女の話を新聞で読み、
「余震も危ない」という地震学の常識が社会に伝わっていないと痛感。
地震学の知識を世に伝える「アウトリーチ」に興味を持った。

 08年にチャンスが訪れた。
東大地震研究所の助教に就任。
広報を担当し、アウトリーチに没頭する。
この年、四川大地震や岩手・宮城内陸地震が発生すると、地震研のホームページで地震の
メカニズムなどの情報を徹夜で発信。
地震の仕組みを話す出前授業も始め、年80回もの講演をこなした。

 防災授業を始めたのもこの頃だ。
文部科学省の防災教育支援事業に採択され、08年度から2年間、
東京都板橋区立高島第一小学校で現場の先生たちと授業の進め方を模索。
従来の避難訓練がいかに形骸化していたか気づく。
「子どもが自分で考えて危険を判断する訓練を採り入れないと」

 そして東日本大震災。
今、変わらなければ。
そんな思いで学校を回る。
「ダンゴムシのポーズ」を教えるために学生が歌に振り付けをし、
1回の授業と3回の訓練で構成するプログラムをまとめた。
自分が足を運べなくても授業ができるように、先生向け教材も開発中だ。
「子どもから働きかければ、保護者や地域の防災意識も変わるはず」と信じる。

 もうすぐ、一児の母になる。
「命の重み」を、より強く感じている。   朝日新聞 記事

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                            坂下 可奈子 さん(27)」

 新潟県中越地震で被災した十日町市に3年前、
東京から単身で移り住んだ。
冬には4㍍も雪が積もる豪雪地帯で、
稲作のほかサツマイモ、大豆を育てている。

 高松市に生まれ育ち、立教大で政治学を専攻した。
国連の関連機関か難民を支援する国際NGOで働くのが夢だった。
地震で家屋が壊れて農道が崖崩れて埋まった池谷集落が、
農作業ボランティアを募集しているのを知り
「小さな場所から平和を広げ、大きな幸せにつなげられれば」と手を挙げた。

 2009年から通い続けて見えてきたものは、たくさんある。
「ギンナンが採れればいつか移住してくる若者たちの収入になる」と
お年寄りたちが手入れを欠かさないイチョウの林。
吹き渡る風の心地よさ、心から集落の存続を願う住民たちの思い・・・。
大学卒業を機に移住した。

 農作業のかたわら、県内外の集落に移り住んだ若い女性たちと一緒に、
中山間地の魅力を発信する季刊のフリーペーパーをつくる。
誌名は「ChuCIu(ちゅくる)」。
「中山間地に来る」「山地が生産の現場、作る場」の思いを込めた。

 そんな「移住女子」は来月、都会から来る若者向け住宅の
建設現場で出会った男性と結婚する。
披露宴を開くのは小学校の旧分校だ。
「集落のバトンを次につなげたい。集落も私も、第2章が始まる」  朝日新聞 記事

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