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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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     「松本 哲也 さん(36)」

 父は暴力団幹部。
母は麻薬中毒。
預けられた母の実家で虐待され、学校ではいじめを受け、
養護施設に預けられる。
中学で傷害事件をお起こし、教護院に送られた。
 
 音楽と出会ったのは、その養護施設。
職員が弾くギターに魅せられた。
教護院で音楽の先生に背中を押され、15歳で上京。
中華料理店で働きながら路上で歌い、23歳のときコンテストで優勝、
2年後にメジャーデビューを果たす。

 しかし翌年、「家を建てて一緒に住む」と決めていた母が亡くなる。
事務所の社長は夜逃げし、レコード会社は契約を解除した。
  
 故郷の岩手に戻り、歌を続けながら自伝を出版。
それを元に母の愛と絆を描いた「しあわせカモン」が制作されたものの、
県内上映だけでお蔵入りした。

 一昨年3月、ツアーで回ったばかりの三陸を津波が襲う。
炊き出しと歌のキャラバンを続けた。
「人が元気になるのは、カネやモノでなく、人なんだとわかった」

 その年の10月、広島で開かれた「お蔵出し映画祭」で「しあわせカモン」が
グランプリーに。
 
 おかげで作品は1月26日から各地で上映が始まった。
母が愛した木をテーマにした主題歌「ユキヤナギ」で、本人も再デビューした。

 自分も被災地も再出発。
「炊き出しはいいから自分の仕事をしろ、と逆に励まされた。
そんな人たちがいることを、全国に伝えたい」  朝日新聞

 

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 W杯ジャンプ女子で総合優勝し、
クリスタルのトロフィーを手に笑顔で声援に応える
高梨沙羅選手=17日




 

    沙羅成長中 ソチへの宿題」3月21日

 今季を終えたノルディックスキー・ジャンプの女子ワールドカップ。
史上最年少で個人総合優勝を果たした16歳の高梨沙羅は、
16戦で8勝と、勝ち方を覚えた飛躍の1年となった。
一方で、着地の課題が残っている。

 右足を引きずり、支えられて歩く高梨の顔がゆがんでいた。
世界選手権のサラ・ヘンドリクソン(米)を2回とも飛距離で上回りながら
飛型点で劣り、2位となった17日の最終戦。
着地時の衝撃で両脚のすねを痛めた。
ここに、強みと弱みが同居している。
 
 低い助走姿勢から高い飛行曲線を描き、世界トップレベルの飛距離を生み出せる。
問題は着地時のテレマーク姿勢で、決まらないと足にかかる負担は大きい。
今季はその課題に取り組み、「進歩したと思う」と振り返るが、
スムーズに決められる域には達していない。
「これ以上飛んだら危険」となるヒルサイズ級での勝負になっても
決められるかどうかが宿題だ。
 
 また、渡瀬弥太郎前コーチが2月に突然辞任。
今季からスタートゲートをコーチの判断で下げられるようになり、
二人三脚で勝ち方を探ってきたが、高梨は来季、再び一からやり直すことになる。
 
 女子ジャンプが新採用され、W杯総合王者として挑むソチ五輪。
金メダルが是が非でも奪いにいくだろうか。
五輪でノルディック勢の惨敗が続いている
全日本スキー連盟の戦略と知恵が問われる。 朝日新聞

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 「高梨 2位」5連勝逃がす 3月15日

  女子個人第15戦(HS 105㍍)がノルウェーのトロンヘイムであり、
個人総合優勝を史上最年少で決めた16歳の高梨沙羅は274・9点で2位となり、
W杯5連勝を逃した。
 
 世界選手権覇者のサラ・ヘンドリクソン(米)が101・5㍍、101㍍の283点で今季3勝目、
通算12勝目を挙げた。
高梨は1回目に最長不倒の105㍍で2位につけたが、2回目は100㍍にとどまり、
順位を上げられなかった。
 3位はジャクリーン・ザイフリーズベルガー(オーストリア)。
 
 他の日本勢は上位30人による2回目に進めず伊藤優希が36位、
平山友梨香が39井、茂野美咲が42位だった。
 
 「高梨移動のトラブルも敵」

 
 海外旅行ありがちなトラブルに、高梨の顔がゆがんだ。
  「こういう経験は初めてだったので」。
経由地のフランクフルト(独)で悪天候のため足止めをくい、
前日の公式練習はスキー板が届かなかったためにキャンセル。
日本勢だけ不規則な行動となり、冬季始めて飛んだジャンプ台に1日で
適応するのはたやすくない。

 案の定、高梨は2回目に失敗ジャンプ。
「タイミングが遅れて空中でロスした」。
女子ジャンプW杯の記録更新する5連勝はならなかったが、
「失敗した中でも表彰台に立ててうれしい」。
必死に顔を上げた。

 日本、混合ジャンプ 「金」世界選手権 2月24日 

 ノルディックスキーの世界選手権第5日は24日、
イタリアのバルディフィエメでジャンプの混合団体戦がノーマルヒルで行われた。
日本(伊藤有希、伊東大貴、高梨沙羅、竹内択)が金メダルを獲得した。
日本選手の世界選手権優勝は2009年大会の複合題団体以来、2大会ぶり。

 男女2人ずつが交互に飛んで争うジャンプ混合団体は
世界選手権で初めて行われた。
16歳の高梨は五輪、世界選手権を通じ、
スキーの日本選手で史上最年少の金メダリストになった。
高梨は「一番欲しかったメダルを首にかけてもらった。
個人戦より感動とうれしさが倍増した」と語った。
 
 2位オーストリア
 3位ドイツ

 日本選手の飛距離
伊藤有希 ― 90、 91・5㍍
伊東大貴 ― 100、100㍍ 
高梨沙羅 ― 101・5、106・5㍍
竹内択  ― 100・5、 101・5㍍
 男子と女子はスタートゲートの位置が違う。

 「竹内「沙羅が刺激」
 心地よい緊張感に、竹内がスタートゲートで小さく息を吐いた。
最終ジャンパーの重圧は計り知れない。
優勝が決まるとなれば、なおさらだ。
「やることはいつもと変わらない」。
着地後に振り上げた右腕に思いがこもる。
仲間と抱き合い、ようやく重圧から解き放たれた。

 最後の4番手には、ワールドカップの通算勝利数で史上最多を更新している
シュリーレンツァウアー(オーストリア)ら世界の猛者がそろった。
日本としては竹内までにリードを広げておきたいところだ。

 そこで、3番手の高梨が大ジャンプを連発。
2回目には、この日飛んだ全選手の中で最長となる106・5㍍を飛び、
流れを確かなものにした。

 この16歳が軸になり、プラスアルファの力が引き出されたのかもしれない。
伊藤の出遅れを、伊東がすぐにカバー。
4番手の中で2回とも最高得点を出した竹内は言う。
「(高梨)沙羅ちゃんが刺激になっているし、心強い」。
男子の横川朝治ヘットコーチは「沙羅が(竹内の)重圧を和らげてくれた」と見た。

 今大会から採用された混合団体戦。
団体戦で戦うことが多くない高梨は、しみじみと感謝の言葉を並べた。
「4人で飛んだけど、周りの方がサポートしてくれて、
自分のやることだけに集中できた。これはチームで取ったメダルだと思います」
 朝日新聞

  世界選手権「高梨沙羅 銀」2月22日

 イタリアのバルディフィエメでジャンプ女子個人ノーマルヒル(HS106㍍)があり、
高梨沙羅が2位に入った。
ワールドカップ個人総合優勝に続く栄冠はならなかったが、
世界選手権で3回目の実施となったこの種目で日本勢初のメダルを獲得した。

 1回目で104・5㍍、2回目で103㍍を飛び、251・0点だった。
昨季総合王者のサラ・ヘンドリクソン(米)が 106㍍、103㍍の253・7点で初優勝した。
他の日本勢は伊藤有希が20位、茂野美咲が22位、平山友梨香が24位。

  「金メダルを目指し、ずっと練習してきたわけですから」。
悔しさはある。
だが、それ以上の充実感が高梨の胸にあった。
「納得のいくジャンプはできた。メダルを取れたことでほっとしている」

 17日に史上最年少の16歳でW杯総合王者に輝いたばかり。
世界から注目されるなか、今大会はジャンプ台の攻略に苦しんだ。
「この前の(W杯)リュブノとは違う台。傾斜が緩くて、タイミングが合せづらい」。
試合前の試技でも飛ぶタイミングが合わない。
「うまくいかなくてずっと悩んでいた」

 だが、助走時にアプローチをゆっくり組み、
前へ突っ込みすぎないようにすることでタイミングを合せた。
104・5㍍に着地し、1回目からガッツポーズ。
不安が消えた。

 優勝したヘンドリクソンとはわずか2・7点差。
しかし、2人の間には技術面で大きな差がある。
ともに100㍍越えのジャンプで競ったが、
高梨は2回ともテレマーク姿勢を入れられなかった。

 「それが私の弱さです」
 シーズンを通して争うW杯個人総合優勝と違い、
一発勝負で勝つのはたやすくない。
2年前の世界選手権は6位に入賞し、今回は2位。
「自分の最大限の力を発揮しないと結果は出ない。もっと確率を上げていきたい」。
女子ジャンプが新種目となるソチ五輪へ、夕暮れ時のイタリアで誓った


「16歳高梨沙羅 総合V」2013年2月17日

 ノルディック・スキージャンプのワールドカップ(W杯)は17日、
女子個人第14戦がスロベニアのリュブノであり、
16歳4ヵ月の高梨沙羅が今季8勝目を挙げ、
個人総合優勝を決めた。
スキーW杯では男女を通じて史上最年少の総合王者で、
日本選手のジャンプW杯総合優勝は初めて。

 高梨は蔵王大会から4連勝でW杯得点を1137点に伸ばし、
2試合残して頂点に立った。
 スキーW杯での日本選手の総合優勝は2007年~08年シーズンにモーグルを制した
上村愛子以来、7人目。
 
 高梨は「もう決まったんですか。あまり考えていなかった。結果にとらわれず、
自分のジャンプをしようと楽しく臨んだので。
1回目はここにきて一番のジャンプができたので、最高の一日になった」と語った。

 「史上最年少の総合王者が生まれた」
 17日、スロベニアのリュブノであった女子個人第14戦(HS 95㍍、K点85㍍)で、
16歳4ヵ月の高梨沙羅が266・9点で今季8勝目を挙げ、達成した。
高梨は1回目に89・5㍍、2回目に92㍍を飛んだ。
2位にコリーヌ・マテル(仏)、3位に昨季の総合王者サラ・ヘンドリクソン(米)が入った。

 これまでのスキーW杯の最年少王者は、
1991年~92年の男子ジャンプを16歳9ヵ月で制したトニ・ニエミネン(フィンランド)。
 
 飛ぶタイミングを合わせるのが難しいというジャンプ台でも、桁違いの強さだった。
 
 1、2回目ともに、最後に飛ぶ高梨だけがスタートゲートを下げた。
ライバルたちと比べて助走スピードは落ちる。
それにもかかわらず、
2かいとも最長の飛距離をマーク。
4連勝で総合王者に上りつめた。
総合優勝にあこがれた日を覚えている。
昨年の3月9日、オスロであったW杯最終戦だった。
 
 初代王者のヘンドリクソンがクリスタルトロフィーを抱くのを、
総合3位の高梨は真横で見つめた。
 「すごく格好いいな。シーズンを通して強い選手が総合チャンピオンになれるんだ」
 
 自分との差は何か。
 「まだまだ未熟。技術的にも精神的にもレベルを上げていきたい」。
静かに雪辱を誓った。
今季はより低い助走姿勢から飛び出せるように、アプローチに磨きをかけた。

 苦手だった着地時のテレマーク姿勢を改善。
昨季は1勝にとどまったが、今季は8勝まで積み上げた。
 
 日本人初の快挙。
かつて世界をわかせた男子陣でもW杯総合優勝には届いていない。
長野五輪金メダルの船木和義が1997年~98年シーズンに入った2位が最高だった。
 「今日は総合優勝を意識していなかったが、自分でもできて感動している」
 昨季から始まったジャンプの女子W杯で、世界を驚かした16歳が、照れるように笑った。

 「4ヵ月で高卒認定合格」
 昨春に中学を卒業し、北海道旭川市にあるインターナショナルスクールに通う。
ジャンプの強豪校も選択肢にあったが、
「自由のきく環境の中で、どれだけ自分が伸びるかを試したかった」。
競技に専念するため、昨年8月には、わずか4ヵ月の勉強で高校卒業程度認定試験に合格。
それまで毎朝5時半に始発電車に乗り、2時間ほど教科書とにらめっこ。
連日、7時間くらい勉強したという。

 いったん、スイッチが入るとマイペースながら夢中になる。
父の寛也さんが元選手で、4歳上の兄もジャンパーだった。
その影響や友達が飛んでいるのを見て小学4年出始めた。
「始めは怖かったけど、飛んでみると楽しかった。鳥になったみたい」。
そんな心地よさから、のめり込んだ。
身長152㌢と小柄ながら、小さいときの習ったバレエで身につけたバランス感覚が
圧倒的に飛距離を生む。
 
 「シーズンオフは気のむくまま生きています。
昼までずっと寝ていたいけどそれはダメと起こされる」。

  次戦は、20日にイタリア・バルディフィエメで開幕する世界選手権になる。
初めて出場した2年前の前回大会は日本勢発入賞となる6位。
今回は総合王者の重圧とも戦いながら、初優勝を目指す。
「今回できたことをイタリアにもっていきたい。しっかり楽しんで、結果もついてくればいい」。
こんな心の余裕も武器になる。 朝日新聞

 

   
 
  「岡崎 栞(しおり) さん(17)」

 背番号5がバットを振り抜く。
本塁上のクロスプレー。観客席が沸く。
タッチアウトか否か。
 「点が入るかどうかという勝負の瞬間が一番どきどきする」。
その瞬間を描こうとした。

 広島県府中町の県立安芸府中高校の2年生。
絵の素材になっているのは、同校の野球部。

 昨年6月からコンパクトのデジタルカメラを手にほぼ毎日グランドに通い、
練習や試合を撮影した。
ピントやタイミングが合わず、思い通りの写真を撮り終えるのに約2ヵ月。
野球にあまり興味がなかったはずなのに、
試合に夢中になって肝心の場面を摂り逃したこともあった。

 約1200枚の中から3枚をパソコンに取り込み構図を決め、
アクリル絵の具で色づけしていった。
基調は赤系8色。
「夏の甲子園の暑さと戦いの熱さを表現したかったから」。
審査委員からは「物語が感じられる」と評価された。

 授業中も休み時間も、暇さえあればアニメや漫画のキャラクターを
鉛筆でノートに描く子どもだった。
小学校の絵画クラブと中高の美術部の仲間に刺激を受け、
考え方や描き方の幅が広がった。
だから作品にはいつも「絆」というメッセージを込める。

 今年の夏は、甲子園に足を運ぶつもりだ。
「同い年くらいの子が仲間と共に頂点を目指す。その『絆』を間近で感じたい」

   標津のNPO「追跡調査」2013年

 標津町NPO法人「南知床・ヒグマ情報センター」などは、
全国地球測位システム(GPS)を使ったヒグマ行動追跡調査で、
夏に体重が200㌔以下まで落ちたオスが冬眠前に350㌔まで増やしていたことを確認した。
野生のヒグマの冬眠前後の体重変化が明らかになるのは珍しい。
 推定16歳のオスの行動を追跡した。

 一昨年11月の捕獲時の体重は305㌔。
昨年8月に再び捕獲したときは190㌔に減っていた。
しかし、1ヵ月後の9月には240㌔まで回復。
12月に斜里町で狩猟によるハンターに捕獲された時は推定350㌔に増えていた。
 一昨年の冬眠前から咋夏まで115㌔も体重を減らし、
その後4ヵ月で160㌔ほど増やすという劇的な変化だった。

 調査では、昨年10月に捕獲した189㌔のオス(推定2歳)が降雪後に
山岳部に向いながら再び平野部に戻り、12月にハンターに捕獲された。
この時の体重は170㌔だった。
センターの藤本靖理事長は「16歳のクマは餌を確保できたが、
若いクマは冬眠に備えるだけの脂肪を蓄えられず、平野部に戻ったのだろう」と推測する。

 一方、知床半島の中央部ルシャ地区で昨年9月、
やせ細って餓死したメスが確認された。
カラフトマスの遡上の遅れが大きな要因と考えられ、
「激ヤセ」グマが報告されている。
坪田敏男北大教授は「(半島の付け根の)標津周辺では餓死も
『檄ヤセ』も確認されなかった。生息密度が高く、
カラフトマスへの依存度も高い半島部のヒグマとの違いと考えられる」と指摘した。

 調査はセンターと北大、NTTドコモの合同研究「ADPS・プロジェクト」として
2009年に始まった。
研究成果は2月2日に札幌市の北大獣医学研究科講義棟講堂で発表され、
13日には標津町生涯学習センター「あすばる」で開かれるヒグマ・セミナーでも発表される。

 
 


  昨年 やせ細ったパンコ=昨年8月18日


 
 4年前 3頭の子グマ育てていたころのパンコ
  =2009年613日北海道斜里町・知床財団提供

 
咋夏猛暑で「エサ不足」北海道・知床

 
厳しかった咋夏の暑さは、世界自然遺産・知床のヒグマたちを苦しめていた。
海水温が高かった咋夏は、
例年8月に川に遡上してくるカラフトマスがなかなか現れず、
極端なエサ不足に陥った。
自然保護や管理を担う知床財団などが観察を続けてきた雌グマはやせ細り、餓死した。

 知床半島中央部の斜里町のルシャ地区で昨年8月18日、
漁師がサケ漁などで寝泊まりする番屋近くに、やせた見慣れないヒグマがいた。
知床財団などの共同調査の一環として、
町立知床博物館の山中正実館長(53)らが体組織を採取。
DNAを調べた結果、「パンコ」とわかって驚いた。
2008年から同財団などが観察を続けてきた雌グマだった。

 パンコは、金毛で美しく、目の周りが黒っぽいパンダのような愛嬌があった。
3頭の小グマを育てた年もあった。
やせた姿が目撃された2週間後、番屋近くで餓死していた。

 昨年8月から9月には、観察を続けていたほかのヒグマもほとんどがやせ細り、
姿が見えなくなった子グマも多くいたという。

 知床のヒグマは、山で採れるエサが減る7月に最もやせる。
例年なら、8月に遡上すカラフトマスを食べて一気に栄養を蓄える。
ところが昨年は海水温が平年より2度ほど高く、遡上が1ヵ月ほど遅れた。
知床の8月の漁獲量は前年の約3分の1。
地元漁協は「四半世紀ぶりの不漁だった」という。
エサを求めてか、市街地や観光地への出没も相次いだ。
特に斜里町では昨年の目撃情報が1763件と、取り始めた1993年以降、
最多だった2005年の857件の2倍を越えた。
例年は7月がピークだが、昨年は8月が最も多かった。

 市街地に近い川で飢えて動けなくなったヒグマもいた。
ただ、人を襲うことはなかった。
山中館長は「人を見ただけで襲うわけではないことを改めて感じた。
共存のために工夫できることがまだまだあるはずだ」と話す。 朝日新聞

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