山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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留学した米国から一時帰国し体験を語った
福島県大熊町で被災した有本温子さん。
被災地の高校生「被災地の高校生」
東日本大震災後、被災地の高校生らが、
奨学金で世界各国に長期留学している。
被災体験を発表したり、同世代と対話したりして
「高校生外交官」として奮闘中。
今後も継続していけるかは、留学先の善意や民間の寄付にかかっている。
「慣れない海外で苦労もあるけど、様々な国籍の友達に助けられている。
人生の大きな財産になると思います」。
米メリーランド州の全寮制高校に留学中の有本温子さん(17)は3月9日、
都内で被災地の高校生ら約50人を前に語った。
福島県大熊町の自宅は東京電力福島第一原発から3㌔。
避難所を4ヵ所転々とした後、いわき市内の仮設住宅へ家族と移った。
昨年、財団法人教育支援グローバル基金が被災した若者の教育支援する事業
「ビヨンドトゥモロー」の高校留学プログラムに合格。
咋夏の渡米前には、来日したクリントン米国務長官(当時)の前でスピーチし、
米軍による復興支援に感謝を伝えて「将来は外交官になって恩返しがしたい」と語った。
留学先で米国人の級友らの前で被災体験を話すと、質問が相次いだ。
「今も避難しているの? 」「自宅にはもう帰れないの? 」。
丁寧に応えることで、自分が海外に出た意味があったと感じたという。
一番伝えたいのは、「震災で人生が激変したけど、
決して不幸だとは思わない」ということ。
支援を受けたからこそ、今度は誰かのために行動したいと思うようになった。
16日からは、ホームレスの子らの家を建てるボランティアのため
中米のドミニカ共和国を訪れる。
マレーシアに留学中、
民族衣装で記念撮影する藤井理子さん。
「勘違いもある 発信しなきゃ」
被災地の高校生向けに1年以上の長期留学費用を
全額支給する奨学金プログラムは、国際教育交流団体AFS も
設けている。
ビヨンドトゥモローとあわせてこれまで計17人が10ヵ国へ。
さらに11人が今夏、留学する予定。
岩手県立盛岡第一高校2年の藤井理子さん(18)は、
昨年1月からマレーシアに1年留学した。
大槌町の病院に入院していた祖父を津波で亡くした。
留学先の授業で、被災地の写真を見せながら体験を伝えた。
「地震が起きたらどう身を守ればいいのか」。
級友の質問に「火を止め、机の下に潜る」と答えると、みな初めて聞いたような顔をした。
日本のような防災教育はないらしい。
原発事故については「放射能で東日本には入ることができないと」と
勘違いしていた人もいた。
「『震災後』の情報が少なく、どうしても憶測が多くなる。
私たちが直接発信しなきゃいけないと実感した」。
高橋菜々美さん。
フランス北部の高校に留学中の高橋菜々美さん(17)は
先月、各国の留学生と震災について
意見交換をする集まりを開いた。
「ノルウェーが風力発電にさらに力を入れ、
原発に頼っていた他の国の電力もまかなえるように
なったらいい」。
そんなノルウェー人留学生の言葉を、日本の高校生に届けたいと思った。
仙台で被災した。
沿岸に住む祖父母としばらく連絡が取れず、母は毎晩泣いていた。
人々が津波に流されていくのを目撃した父はうなされ続けた。
不安から救ってくれたのは、外国から届いた多数のメッセージだった。
だから、世界の若者が震災から学んだことや思いを語り合い、
将来に生かせるような場を作りたい。
そう考えている。
「寄付減額で奨学金不足」
ビヨンドトゥモローの高校留学プログラムには欧米の全寮制高校5校が参加。
学費、寮費を卒業まで免除している。
さらに企業などの寄付金により、同財団が生活費として月2万円を支給する。
津波で母を亡くした宮城県石巻市の女子生徒(17)を受け入れている
スイスの高校は「今後、他の生徒の推薦があれば、
サポートを検討する」(留学担当者)と話すが、継続するかどうかは各校の判断による。
ビヨンドトゥモローの担当者は「受け入れてくれる学校を増やしたいが、
震災から2年たち、相当説明しても難しい」と語る。
AFSはより深刻だ。
1年分の留学費150万円を全額免除する制度は民間の寄付金でまかなう。
今年の派遣数は10人を越えたが、来年の募集は7人。
特に米国以外の派遣先も減った。
震災直後にあった企業からの大口寄付が減り、
このままでは再来年以降は募集できなくなる恐れがある。
AFSの広報担当者は「留学から帰国した高校生たちの姿を見て、
意義のある奨学金だと多くの人に知ってもらいたい」と話す。 朝日新聞
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「佐藤 聖幸(まさゆき) さん (24)」
出身は福島県南相馬市。
4年前まで大相撲の力士だった。
でも今は新潟県三条市の臨時職員としてイベントの企画運営に携わる。
「この土地に役に立ちたいんです」。
縁のなかった地に結びつけたのは東日本大震災だった。
震災時は交通事故で東京都内に入院していた。
実家は福島第一原発から20~30㌔圏内。
家族は被害者を受け入れた三条市に移った。
自分もすぐ合流。
「代表班長」として、避難所の150人とのパイプ役を務めた。
驚いたのが中越地震を経験した新潟の人の心配り。
子どもに絵本を読み聞かせ、お年寄りの話し相手になる。
自分も配膳を手伝う主婦に招かれ、おかげで一人で風呂に入ることもできた。
「震災や水害にあった時、新潟は支えてもらったから」。
2004年の豪雨被害で死者9人を出した三条市が
全国から支援を受けたことを聞かされた。
大相撲での最高位は序二段。
けがが原因で20歳で引退し、通信制高校に通いながら目標を探していた。
「三条市に恩返しをしたい」。
両親が福島に戻った後もとどまり、力士時代に覚えたちゃんこ鍋を生かすことにした。
30歳までに自分の店を持ちたいと思う。
3月末に市職員を退職し、修行に入る。
「南相馬の芋煮風田舎鍋もいかして、同じような経験をした二つの土地をつなげたい」
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「三浦 ほのか さん(18)」
東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の高校3年生の
三浦ほのかさん(18)が3月6日、米ニューヨークの国連本部で
開かれている「水と災害に関する特別会合」に招かれ、
被災体験を語たる。
震災から2年。
「新しい故郷をつくるのは私たち」。
復興への決意を世界に発信したという。
三浦さんは津波で家を流され、高台の保育園で避難生活を送った。
大人たちは不安におびえ、子どもたちの表情から笑顔が消えた。
「みんなを笑顔にしなくちゃ」。
中高生のボランティア仲間と、新たな町づくりの提言に取り組んだ。
町内の小中高生にアンケートし、交流の場として公民館にカフェをつくることなどを町に提案した。
こうした活動が国連関係者の耳に入り、今回の会合に招待された。
世界規模の水災害に対応しようと、
皇太子さまや各国政府関係者らが聴講する予定。朝日新聞 (島 康彦)
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大槌町の高校生「米国へ」2013年3月
東日本大震災の傷を心に抱える人がいるのを、
海外の人にも知ってほしい―。
震災から2年を迎える3月、被災地の高校生らが米国へ渡り、
震災の体験を語る旅をする。
被災地以外の人の無理解に反発を感じることもあった生徒がたどり着いたのは、
「あきらめずに語り続ける」ことだった。
渡米するのは、岩手県立大槌高校1年の菅谷奈菜さん(16)ら同高校生19人。
被災への理解を促そうと、被災地の高校生を海外に派遣する
外務省所管の事業に同校が応募。
3月3日~17日の予定で、シアトルとサンフランシスコなどを訪れる。
高校などを回り、被災当事と復興の様子、
故郷への思いや震災を通じて学んだことを英語で発表する。
震災のとき、中学2年生だった菅谷さんは自宅にいた。
高台に逃げて家族は全員無事だったが、周りでは多くの人が肉親を失った。
菅谷さんの家は流された。今も仮設住宅での暮らしが続いている。
「被災を乗り越え、前を向こう」。
テレビで時々流れる言葉が、菅谷さんは嫌いだった。
津波で肉親を亡くした人の悲しみは、同じ被災者の自分だってわからないのに、
わかったふりの「きれいごと」に聞こえた。
昨夏、東京の高校生たちとの交流合宿に参加した時も、
どうせわかり合えないと思っていた。
「経済的の面から考えれば、もう復興は終わったんじゃないか」。
集団討論で、ある東京の高校生が発言した。
お金の面だけで復興を片付けられた気がして、
「大切なのはそこじゃない」と食ってかかった。
ただ、丸一日も話し込むと、相手は少しずつわかってくれた。
被災地の高校生たちも徐々に、肉親たちを亡くしたことを話し始め、
東京の高校生たちも一緒になって、復興への道筋を語り合うようになっていった。
「壁を作っていたのは私だった」。
被災地以外の人をどこか軽蔑し、わかり合おうとしなかった自分を反省した。
「思いをぶつけ合えば、わかり合える。一緒に考えることが大事なんだ」と思い直せた。
その後、カナダに短期留学した時には「海外では、もっと震災のことが
理解されていない」と感じることもあった。
津波の被害すらジョークにされ、無関心な人たちに出会ったからだ。
「伝える意味って何だろう」。今も時々、わからなくなるが、
合宿での経験を思い出すと、話すことの大切さを強く感じる。
「被災地には、つらくても口に出さない人がいる。それがわかってくれ、
海外の人でも、ともに歩んでいけるはず」と菅谷さん。
発表はこんな文章で結ぶつもりでいる。
「私は、自分から一方的に諦めないで、
常に対話し続ける姿勢が大事なんだと、学びました」 朝日新聞
「希望の灯り」と名付けられたガス灯のモニュメントが神戸市役所の
南隣の公園にある。
震災の遺族らでつくるNPO法人「HANDS」が設立し、管理してきた。
「3・11」以来、HANDS代表としてきの灯りを東日本大震災の被災地に分灯している。
福島県南相馬市、いわき市、岩手県陸前高田市、大槌町・・・。
1月16日、東北でともった灯りが神戸に持ち寄られ被災者が近況を分かちあった。
「灯りがあれば、人は顔を上げる。周りに集うことができる」
俳優である。
NHKで放送中の朝ドラ「純と愛」にも出演している。
東京都出身だが、息子のアトピー治療のために転居した神戸で、
阪神大震災に遭った。
避難所で小学生の息子2人を亡くした男性に出会った。
同世代だった。
とっさにかけた言葉は「うちだけ生きてごめん」。
あとはただ横に腰掛けて手を握っているだけだった。
しばらくして「ありがとう」と小さな声。
傷ついた人とは「向き合う」よりも、「寄り添う」ことが大事だとわかった。
遺族支援を通じ、「世の中は不条理で、人生は喪失と悲観の繰り返し」と知った。
立ち直りかけた矢先に別の家族を病や事故で亡くす人。
酒に溺れ仕事を失う人。
子の死後、離婚する夫婦。だが・・・
「絶望の中でも生き続ければ、いつか光が見えてくる。
灯りの周りにあなたに寄り添う人がいる」