忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT
山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 発表用の資料を手に持つ菅谷さん。
   大槌町の高校生「米国へ」2013年3月

 東日本大震災の傷を心に抱える人がいるのを、
海外の人にも知ってほしい―。

 震災から2年を迎える3月、被災地の高校生らが米国へ渡り、
震災の体験を語る旅をする。

 被災地以外の人の無理解に反発を感じることもあった生徒がたどり着いたのは、
「あきらめずに語り続ける」ことだった。
 
 渡米するのは、岩手県立大槌高校1年の菅谷奈菜さん(16)ら同高校生19人。
被災への理解を促そうと、被災地の高校生を海外に派遣する
外務省所管の事業に同校が応募。
 
 3月3日~17日の予定で、シアトルとサンフランシスコなどを訪れる。
高校などを回り、被災当事と復興の様子、
故郷への思いや震災を通じて学んだことを英語で発表する。
 
 震災のとき、中学2年生だった菅谷さんは自宅にいた。
高台に逃げて家族は全員無事だったが、周りでは多くの人が肉親を失った。
菅谷さんの家は流された。今も仮設住宅での暮らしが続いている。
 
  「被災を乗り越え、前を向こう」。
 テレビで時々流れる言葉が、菅谷さんは嫌いだった。
津波で肉親を亡くした人の悲しみは、同じ被災者の自分だってわからないのに、
わかったふりの「きれいごと」に聞こえた。
 
  昨夏、東京の高校生たちとの交流合宿に参加した時も、
どうせわかり合えないと思っていた。
 
 「経済的の面から考えれば、もう復興は終わったんじゃないか」。
集団討論で、ある東京の高校生が発言した。
お金の面だけで復興を片付けられた気がして、
「大切なのはそこじゃない」と食ってかかった。
 
 ただ、丸一日も話し込むと、相手は少しずつわかってくれた。
被災地の高校生たちも徐々に、肉親たちを亡くしたことを話し始め、
東京の高校生たちも一緒になって、復興への道筋を語り合うようになっていった。
 
  「壁を作っていたのは私だった」。
被災地以外の人をどこか軽蔑し、わかり合おうとしなかった自分を反省した。
「思いをぶつけ合えば、わかり合える。一緒に考えることが大事なんだ」と思い直せた。
 
 その後、カナダに短期留学した時には「海外では、もっと震災のことが
理解されていない」と感じることもあった。
津波の被害すらジョークにされ、無関心な人たちに出会ったからだ。
「伝える意味って何だろう」。今も時々、わからなくなるが、
合宿での経験を思い出すと、話すことの大切さを強く感じる。
 
  「被災地には、つらくても口に出さない人がいる。それがわかってくれ、
海外の人でも、ともに歩んでいけるはず」と菅谷さん。
発表はこんな文章で結ぶつもりでいる。
 
  「私は、自分から一方的に諦めないで、
常に対話し続ける姿勢が大事なんだと、学びました」 朝日新聞
PR
Comment
この記事にコメントする
お名前:
URL:
メール:
文字色:
タイトル:
コメント:
パス:
忍者ブログ [PR]