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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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 「佐々木 瑠璃 さん(19)」

 尊い人命をも奪った東日本大震災から2年が過ぎました。
多くの方の心労は計り知れないことと思います。
 悲しみの中、前へ向かって歩んでいる一人の
女性の話題が朝日新聞に掲載されました。

午後2時46分。父と弟が暮らす岩手県陸前高田市に戻った
佐々木瑠璃さん(19)はそっと手を合わせ、目を閉じ、うつむいた。
 9歳のころ、祖父母にトランペットをねだったこと。
欠かさず演奏会に駆けつけてくれた母が「上手ね」と笑うたびに、うれしくなったこと。
何度も思いだした光景が、目に浮かんだ。

 青い空に、小雪が舞っている。「2年前と同じだ」。
あの日、母宣子さん(当時43歳)と祖父母、叔母、いとこを失った。
 1ヵ月後、津波にのまれた自宅跡でトランペットを吹いていた。
曲はZARDの「負けないで」。
天国に「心配しないで」と伝えたかった。

                    自宅跡でトランペットを吹いて涙ぐんだ。
この写真が朝日新聞に掲載され、
都内の復興コンサートに招かれた
=2011年4月11岩手県陸前高田市



 幼いころは獣医師にあこがれ、やがて医療の仕事を夢見るようになった瑠璃さんを、
母は「すてきな道ね」と応援してくれた。
人の命を救いたい。
昨年4月、看護師を目指して福島県立医科大学に進学した。

 福島市のアパートでの一人暮らし。
運転免許を取り、髪を茶色に染めた。
体力をつけようと水泳部にも入った。
「毎日が新鮮」。
でも、いつも悲しみは背中合わせだった。

 春。心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを学ぶ授業で津波の画像が流れた。
ずっと避けてきた光景を目の当たりにして教室を抜け出した。
「やっぱり怖い」。
涙声で父の隆道さん(49)に電話した。
「看護師になるなら、いつか乗り越えなきゃいけんいんだよ」と父に励まされた。

 夏。帰省すると、母の遺体が見つかった市民会館に、立ち入り禁止なのに忍び込んだ。
震災後、一度も夢に出てこないのが寂しくて、「幽霊でもいいから会いたかった」から。

 あの日の午後3時21分、高台の高校にいた瑠璃さんの携帯に母からメールが届いた。
「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」。
それが最後の言葉になった。
市の委託職員だった母は避難者の世話をしていたという。

 ガラスの破片が散乱した市民会館の窓から、海が一望できた。
「お母さんがどんな気持ちで窓の外を見たんだろう」。
大声で鳴いた。

 いまも時折、心の詮が抜けてしまうような感覚に襲われる。
母が好きだった缶コーヒーをコンビニエンスストアーで見つけた時。
小さな地震にも肩をこわばらせる自分に気づいた時。
涙が止まらなくなる。

 父に電話をかけると「思いっきり泣けばいいよ」と言ってくれる。
大学には「瑠璃のつらさはわからないけど」と一緒に涙してくれる人がいる友達もできた。
「支えてくれる人がいる私は、幸せ者。ひとしきり泣くと、少しだけ気持ちが楽になる。
そうやって、少しずつ前へ進んでいくしかないだって思うんです」

 アパートの部屋には家族写真を飾っている。
 4年前、東京ディズニーリゾートで摂った一枚。
津波にのまれた自宅2階で、なぜか泥もかぶらず見つかった。

 父と母と弟の証道君(17)と。家族4人で遠出したのは、この時が最後だった。
写真の母は、瑠璃さんとおそろいの水玉模様のストールを巻いてほほ笑んでいる。
「やると決めたら最後まで頑張って」という母の口癖を思い出す。

  トランペットはクローゼットの奥にしまってある。
近所迷惑だから部屋で吹くことはないけれど、月に一度の手入れは欠かさない。

 母とまだ、夢でも会えない。
布で丁寧に磨きながら、願いをこめる。
看護師になったら、このトランペットで患者さんを和ませたい。
「その時、きっと、お母さんは『一人前になれたね』と夢に出てきてくれるはず」
 
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