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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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  愛用の乗馬用の帽子とむちを手にする熊谷雪路さん。
 4月から北海道浦河町の軽種馬育成場で働く。
高校生活は震災で変わったが、夢をつかんだ


 「熊谷 雪路 さん(18)」    

 今春、高校を卒業した宮城県気仙沼市の
熊谷雪路さん(18)が4月から、
日高管内浦河町の軽種馬育成場で働き始める。

 小さいころから馬が好きで、馬術をやりたいと県内の高校に進学したが、
東日本大震災の津波で校舎や馬房が被災。
満足に馬術をできないまま高校生活を終えた。
悔しい思いをした分、「馬に関わる仕事がしたい」という夢をより確かなものにして、
近く被災地の故郷を立つ。

 熊谷さんは、3月1日、宮城県農業高校(名取市)を卒業した。
現在は気仙沼の高台にある実家に戻っている。
津波の被害はなかったが、母が勤務する水産会社は被災した。

 競馬好きの父敬貴さん(40)に連れられ、馬に初めて乗ったのは小学6年の時。
「馬に乗って風を切るのが楽しかった」。
以来、車で約2時間かかる岩手県の乗馬クラブに定期的に通い、乗馬を習った。

 高校進学は「馬術部がある学校を」と、農業高校を選んだ。
気仙沼から約100㌔離れているため、学校の寮に入った。
早起きして授業の前に馬の餌やりや馬房の掃除をして、放課後に馬術を
練習する生活が充実していた。

 だが、2年前の3月11日。
仙台空港に近い高校は津波にのまれ、馬房や飼っていた馬3頭が流された。
熊谷さんは、岩手県内の母の実家にいて無事だった。

 その後、授業は仮校舎で再開されたが、馬術部は休部状態に。
「目標がなくなって、気仙沼の高校へ編入も考えた」という。

 それでも、2年生からは写真部に入り、大会で入賞するなど活躍。
ただ、馬のことは頭から離れなかった。
馬のぬいぐるみなどを買い集めて、気を紛らわせた。

 3年時の就職活動で、浦河町の軽種場育成場「吉沢ステーブル」(吉沢克己社長)で
採用枠があると聞き、迷わず応募。
昨年、9月、採用試験で訪れた育成場で久々に馬に乗ったが、「身体は覚えていた」。
見事、内定を決め、4月中旬から、馬に乗りながら競走馬を調教する「騎乗員」として働く。

 最初は「地元に残れ」と娘の北海道行きを寂しがった敬貴さんも、
今は「自分が乗馬を習わせたのがきっかけ。やりたい道に進めばいい」と応援する。

 好きな馬は、昨年の有馬記念などG1レース三つを制した「ゴールドシップ」(牝4歳)。
吉沢ステーブルで調教された馬で、熊谷さんは「自分もゴールドシップのような強い馬を
育てる仕事にかかわりたい。
いろんな馬に乗って、周りから必要とされる騎乗員になりたい」と意気込む。

 そして、県外に住む交際中の同い年の彼も、この春から浦河町の別の育成場で働く。
「それもあって一日も早く北海道に行きたくて」と笑う。 北海道新聞記事 
 
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