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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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   ウニを採る道具「磯カギ」を手に無駄なく泳ぐ
  大向さん(手前)と中川さん


  北限の海女「大向 広子さん (53)」


 
観光客と一緒にカメラに向かって「はい、じぇじぇじぇ」。
大向広子さんら海女さんの周りに、人だかりができた。
「本当に『じぇ』って言うんですね」と驚かれ、「そう、じぇじぇじぇ~」とおどける。

 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」に登場する「北の海女」。
モデルの「北限の海女」が暮らす岩手県久慈市の小袖地区で、7月下旬から始まった。
「じぇ」はびっくりした時の方言。
ドラマの中で度々使われて、流行語になった。

 大向さんは「小袖北限の海女の会」の会長。
40代~70代の25人で交代でウニ漁を実演する。
「小さい頃から海さ潜ってたよ。おやつ代わりに貝採ってさ」。
4人の子を育てながら漁に加わった時期も。
「それが小袖の海女さ」と胸を張るのは、良き相棒の中川やえ子さん(55)。

 この日の海水温は19度。
長く海にいると体が芯から冷える。
大向さんと中川さんは、ウエットスーツの上にかすりの衣装を羽織る。
腰に6㌔のおもり。
めいっぱい息を吸って潜り、水深5㍍ほどの岩にへばりつくウニを採る。
海面に顔を出し、呼吸を整える間もなく「とったよ~」。
潜る時間は1回数十秒ほどだが、これを1日に何十回と繰り返す。

 海女さんはよく笑う。
海でも陸でも。
仲間同士だけではなく、観光客とも冗談を交わし、笑う。
漁を終えると、憩いの場「海女センター」でお菓子や煮物を食べながら、
たわいもない話でまた盛り上がる。
海の中を泳ぎ回る丈夫な肺は、日々の笑いで鍛えられているに違いない。

 笑顔が消えた時期もあった。
東日本大震災で久慈市にも津波が押し寄せ、
新築したばかりの海女センターが流された。
漁を続けていいのか、みんなで悩んだ。
「でも、伝統を絶やしたくなかった」。
4ヵ月後に漁を再開。
最初の予約が入った時、みんなで手を取り合い喜んだ。

 「震災で多くを失った。でも、仲間との絆や人との縁が強まった。得たものもある」

  「北限の海女さんへ ありがとう」
 
 つい「じぇじぇ」と言ってしまうほど朝ドラにはまっているので、
お会いできた大感激 ! 実際の海女さんたちもとても元気。
実は「じぇじぇ」は「昔、他の地域の人からからかわれて以来、言うのをやめていた」。
ダイバーの私は、足ひれをつけずに潜る皆さんの技に驚きました。
 
  海女漁の実演は9月末までの土日祝日。
平日は10人以上の団体のみ受付(要予約)。
見学料は1人500円。
問い合わせは、小袖海女センター(0194・54・2261)。 朝日新聞

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  被災地訪問を前に、
 宮ノ森中で打ち合わせをする
 (右から)森山教諭、石井君ら


  岩手県へ「支援策探る」

 2011年3月の東日本大震災の影響で、予定されていた岩手県への
修学旅行を断念した札幌・宮ノ森中の卒業生5人が8月、同県を訪れる。
被災地の現状を知り、支援するためのネットワークづくりを目指す。
高校生として復興のために何ができるか。
2拍3日の旅は生徒一人一人が自らに問いかける旅になる。

 5人が同中3年だった震災の年の6月、盛岡市と安比高原を訪れる予定だった
修学旅行は奥尻島に変更になった。
今は札幌南や札幌光星、北海など別々の高校2年生で、
2年前に果たせなかった旅の実現を、と当時の教諭とともに発案。
秋山記念生命科学振興財団(札幌)が本年度から若者向けに始めた年間50万円の
助成制度に応募し、採用された。
当時の教諭3人も同行する。

 8月13日に岩手県大槌町と釜石市を訪れ、津波で大きな被害を受けた大槌町役場や
釜石の鵜住居(うのずまい)地区防災センターなどを見学。
生徒約570人が自主的に避難して難を逃れ、
「釜石の奇跡」とも言われた釜石東中の跡地で同中卒業生の
話も聞きながら交流を深める。
釜石の行程は、札幌のNPO法人「ねおす」が設立にかかわった、
釜石の「三陸のひとつなぎ自然学校」が企画した。
13日夕に内陸の安比高原に移動し、14日まで里山体験を行う。
現地のお盆の行事にも参加する予定。

 札幌市内の中学校の修学旅行先は従来、東北が定番で、10年度は市内98校のうち、
宮の森中をはじめ97校が東北を訪れたが、
震災が起きた11年度からは全校が道内に切り替えた。

 秋山記念生命科学振興財団から同中の卒業生たちが受ける助成は3ヵ年で、
本年度は「知る」、15年度は「拡げる」をテーマとして、夏の被災地訪問を継続。
被災地を支援するためのネットワークをつくりたい考えだ。

 プロジェクトのリーダーで現在、札幌南校で生徒会長を務める石井亮太郎君(16)は
「長い時間がかかる復興のためには、若い僕たちこそが被災地とそうでないところを
つなぐ媒介になる必要がある」と話す。

 5人の宮の森中3年時代の学生副主任で同行する森山正樹教諭(38,現・白石中教諭)は
「自分たちの目で被災地を見て肌で感じ、情報の発信源になってほしい」と期待する。

 生徒たちは宮の森中の卒業前の行事で、震災時に宮城県気仙沼市教委で
避難所運営を担当した伊東毅浩さん(50)=現・塩釜市立浦戸中教頭=の後援を聴いた。
自分たちが何をできるか、という生徒の質問に伊東さんはこう答えた。
「震災のことを忘れないでください」。
2年ぶりの修学旅行は、伊東さんとの約束を果たす旅でもある。 北海道新聞記事

                     「2年遅れ 被災地への修学旅行」8月12日

 津波を体験した小笠原梨菜さん(左端)から当時の話を聞く
 札幌に高校生たち

  2年前、東日本大震災によって東北地方への修学旅行を断念した
札幌市の中学3年生が、高校2年になったこの夏、
被災地を訪問している。
  当時の教員とともに12~14日の日程で岩手県釜石市などを訪れ、
現地の高校生と一緒に津波から避難した道を歩いた。
今後3年かけて被災地を支援するネットワークづくりも目指すという。

 岩手県を訪れたのは、震災があった2011年に札幌市立宮ノ森中3年だった
札幌南高校石井亮太郎(16)と同鈴木かなんさん(16)、北海高校新目健太郎さん(16)、
同武藤祐輔さん(16)、札幌光星高校笹原隆志さん(16)の5人。
修学旅行では、岩手県・安比高原での里山体験などが予定されていたが、震災で断念。
北海道南西沖地震で大きな津波被害があった奥尻島に行き先を変更し、
防災について学んだ。

 その時から石井さんらは「いつか必ず被災地を訪問しよう」と考えていたという。
秋山記念生命科学振興財団(札幌市)の助成金の利用がかない、
この夏休みに「修学旅行」が実現することになった。

 12日札幌を出発。
森山正樹教諭(38)=現・札幌市立白石中教諭=らとともに岩手県大槌町や
釜石市鵜住居町などを訪ね、津波の犠牲者が出た
「釜石市鵜住居地区防災センター」や町長が亡くなった大槌町役場を見学した。

 現地では、多くの小中学生が自主的に非難して津波の難を逃れた
「釜石の奇跡」を学ぼうと、当時釜石東中1年だった
小笠原梨菜さん(15)=釜石高校1年=に体験を聞いた。

 「とても怖かった。とにかく逃げることだけ考えた」と振り返る小笠原さんとともに、
津波から避難して走った約1㌔の道をたどりながら歩いた。

 宿泊先は釜石市・根浜海岸の旅館「宝来館」。
2階まで浸水し、おかみの岩崎昭子さん(57)も一時は津波に飲み込まれた。
夜生徒たちとひざを交えた岩崎さんは「『伝える』だけではなく、
『生き残る』ことを仲間と一緒に考えてください」と語りかけた。

 13日は実際に地元の人たちが避難した旅館裏山の避難路を登り、
ナタを使って木々を拾い集めて火起こしも体験した。
リーダーの石井さんは、「おかみさんの言葉にあった『生き残る』学習は、
新しい切り口。震災への関心が薄れる中、
どのように発信していけばいいかを考えていきたい」と話した。

 石井さんたちは、まず母校の宮ノ森中などで今回見た被災地の「いま」を伝え、
それだけでなく「生き残る」ための体験的なプログラムも実施したいという。
メンバー5人が通う高校を中心に他校にも活動の輪を広げ、震災を風化させず、
被災地を支援するネットワークづくりを進める計画だ。

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  「山内 宏泰 さん(41)」


 3・11の5日後、宮城県気仙沼市と南三陸町で
被災の記録を始めた。
同僚3人と摂った写真約3万枚、集めた資料約250点。
同市のリアス・アーク美術館で4月3日から始まった常設展に一部を並べた。

 三陸地方は「津波常襲地帯」とされる。
明治三陸地震では約2万2千人が亡くなった。
19年前の赴任直後、惨状を迫真の絵で伝える当時の雑誌を目にした。
でも、地域では過去の津波自体があまり知られていない。
2006年に開いた展示会を訪れたのは、約1200人。
状況は変わらなかった。

 「何が起きたか全て記録しなくては」。
流されたバスや冠水した路地を写し、泥で汚れたぬいぐるみ、
白いご飯の残る炊飯器を集めた。
妻は無事だったが、自宅を失った。
1人になると涙が止まらない。
「使命感が支えだった」

 ある日、東北大大学院で建築を学ぶ学生から相談を受けた。
「避難所に段ボールで間仕切りを作りたい」。
阪神大震災後の96年、自然の脅威から身を守る方法を学ぶ場として、
段ボールで家を作り野宿する教室を企画した。
小学生の頃、それに参加した青年だった。

 報われた気がした。
「人を育てるしかない」と改めて思った。
  展示は、来館者の「人生を全て変える」ほどの内容にしたつもりだった。
「同じことを繰り返したら、自分たちは『加害者』になってしまう。
人生をかけ、震災と向き合っていく」

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  「西根 栄一 さん(50)」 

  いず、ぬぅ、さん、す・・・
石巻弁の号令で始まる「おらほのラジオ体操」の考案者。
老人施設など全国1200ヵ所の人々が今、
この音源で身体を動かしている。

 外資系の会社で医療コミュニケーションを担当する。
心と体をつなぐことを考えてきた。

 東日本大震災後、避難所では運動不足によるエコノミークラス症候群が心配されていた。
ふと「東北弁でラジオ体操をやっては ?」と思いつき、一晩で企画書を書き上げた。
東京出身だが、趣味の一人飲みを通じて居酒屋で方言が人を
元気にするのを何度も見てきた。

 全国ラジオ体操連盟、NHK、かんぽ生命の3者に掛け合い、宮城県石巻市に飛んだ。
沿岸に向うにつれ広獏とした更地が続き、胸を突かれた。
「こんな時にラジオ体操か」と言われる覚悟をした。
ところが、地元のラジオで流したところ、問い合わせが殺到。
「CDはどこで買えるの ?」

 無料で見られるように、動画サイト「ユーチューブ」に被災地の人々が
笑顔でラジオ体操をする姿を投稿した。
翌日、米紙に「将来の復興支援になる」という記事が出た。
世界中からアクセスが集まり、再生回数は30万回を超えた。

 「毎年3月11日、世界中でおらほのラジオ体操を」と呼びかける。
「方言を聞き、思いっきり伸びをして、被災地に思いをはせる。
風化させない知恵です」  朝日新聞

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     「定池 祐季 さん(34)」 

 「地域の祭りのため小型発電機を買って、皆で使い方を覚える。
これも防災です。避難所で、すぐに使えますよね」。
北海道大・地震火山研究観測センターの助教として、
暮らしに溶け込む防災のヒントを市民講座で伝える。

 1993年7月12日夜、住んでいた奥尻島で北海道南西沖地震に襲われた。
当時中学2年生。
家族と車で高台に逃げた。
自宅から10㍍ほどの青苗地区は10㍍を越す津波が押し寄せた。

 翌春、父親の転勤で島を離れたが、大学の卒論の課題に災害文化を選び、島に通った。
「地震の後に津波が来ると知っていたら、家族は死ななかった」。
出会ったおばさんは涙を流した。
悲しみを繰り返さないためには、語り継ぎと備えが必要だと感じた。

 大学院を出て実家がある内陸部の旭川市の市役所に勤めたが、
2004年のスマトラ沖地震で津波の怖さを改めて思い知らされた。
「奥尻島で経験した私が防災に役立てるかも」。
市役所を辞め、再び防災研究の道へ戻った。

 20年前のある日、逃げようとして玄関で履いたのは、走りやすい運動靴ではなく、
いつもの通学用の革靴だった。
「防災時には、普段通りのことしかできない」が持論になった。
だから、講座ではいつも繰り返す。
「日常生活の中で防災意識をどうしみこませていくか、が大事です」  朝日新聞


 「今、防災を考える」定池 祐季さん」2013年8月

 近年、防災教育に注目が集まっている。
淡路大震災(1995年)でハードの防災の限界が示され、各地で展開されるようになった
防災教育であるが、東日本大震災後、さらに注目されるようになった。
甚大な被害において、津波到達前に多くの児童・生徒、教員や住民らが無事に避難し、
「釜石の奇跡」と言われた例のように、継続的な防災教育によって、
人的被害が減らすことができた事例が伝えられるようになったからである。

 防災教育は、究極的には命を守ることにつながるものである。
ひとりひとりの命が大切であるという考え方にもとづいて、
防災発生時に自らが助かるだけでなく、他者も助け、その後の被災社会においても何らかの
役割を担っていくことのできる人が育つことを目指している。

 自助・共助を担うことのできる人々を育成することは、社会の防災力の向上につながり、
減災社会の実現に向かっていくための重要なアプローチなのである。

 防災教育チャレンジプランは全国の防災教育の取り組みを支援する
「防災教育チャレンジプラン」による分類が示されている。

 「防災教育チャレンジプラン」による防災教育の分類」

「遊び・楽しみながらの防災」
 かるた、紙芝居、劇、防災クッキングゲームなど。

「災害を想定した訓練」
 防災訓練(バケツリレーや搬送など、個別の訓練も含む)、自宅安全チェック、
非常時のグッツづくり、情報伝達など。

「災害に強い地域をつくる」
DIG(災害想像力ゲーム)、防災マップづくり、地域調査、災害復興模擬会議、
地域向け学習発表会など。

「災害を疑似体験する」
防災オリエンテーリング、津波被害立体地図製作、シミュレーション、
地震による倒壊モデルなど。

「防災に役立つ資料づくり」
避難所標識、海抜プレート、震災記録集、防災実践事例集、防災カレンダー、
防災ハンドブックなど。

「防災に関する知識を深める」
防災講話、ビデオ視聴、調べ学習、防災学習型修学旅行

「防災教育チャレンジプラン」による防災教育の分類が示されている。

「災害を想定した訓練」の具体例

 「防災訓練」は初期消火、避難といった災害発生直後の対応能力を
高めるためのものである。
「災害時に強い地域をつくる」ための具体例「DIG(災害想像力ゲーム)は、
北海道で最も普及している図上での訓練である。
 
 東日本大震災後、北海道沿岸部でも設置数が増えた
海抜プレート(その場所の標高を表示する看板)作成・設置は、
自分のいる場所が津波の浸水の恐れがあるかどうか判断するための
 
 「防災に役立つ資料づくり」であることがわかる。
 一昨年7月、日高管内えりも町の老人クラブが、北大地震火山研究観測センターの
スタッフと共にえりも町役場などの標高調査をし、高さを示すプレートを設置した。

 この取り組みでは、地域住民測量を通して津波避難という視点から地域を
再確認することができた。
さらに、その成果物を掲示する(えりも町広報紙にも掲載された)ことで、
防災教育の取り組みを町民に紹介し、かつ防災に役立つ資料を提示する意味で、
一石二鳥のも三鳥にもなる取り組みだと言える。

 災害が頻発する地域では、住民自身の生活体験の中に災害体験が
強く印象づけられ、事前の備えから災害の対応に至るまで、
「災害文化」といわれる災害に対する考え方や対応策などが継承されやすい。
加えて、継続的な防災教育を実施することによって、
災害文化を継承していく仕組みが担保される。

 反対に、めったに災害の起こらない地域では、過去の災害の語り継ぎや記録を
残すこと、継続的な防災教育などを意識的に行っていかなければ、
コミュニティーに災害文化を形成し、つないでいくことが難しい。

 災害文化を継承し、社会の防災・減災力を高めていくためには、防災教育に加え、
防災・減災につながるふるまいを日常生活で習慣化し、継続していくことが大切である。
このふだんの生活における防災・減災の取り組みは、
「生活防災」、「日常防災」、「イツモ防災」などと呼ばれている。
整理整頓のついでに防災グッツの置き場所を作る、部屋の模様替えをするときに
家具固定をする―というような一石二鳥の方法もある。
また、近所の人とあいさつや雪かきの助け合い、清掃活動への参加や地域の
イベントの企画・運営に関わることなどは、
地域社会とのつながりを持つ中で共助を高めることにもつながっていく。

 北海道の恵み深い自然は、時としてさまざまな災害を引き起こすことがある。
積雪寒冷地という特徴もある。
過去の災害に学びながら、北海道の特性をふまえた防災教育を進めることによって、
北海道の防災・減災につながる災害文化が醸成されていくだろう。  北海道新聞記事

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