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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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  「高野 桜 さん(18)」 

 
東京電力の社員になりたかった。
父も通った福島県立小高工業高校の電気科に入って思った。
しかし、自宅と学校がある南相馬市小高区から15㌔離れた福島第一原発の事故が、
すべてを変えた。
 
 6月、国連で核兵器を訴える被爆地・長崎の「高校生平和大使」になった。
長崎原爆資料館を初めて訪れ、被害を示す地図に見入った。
説明してくれる地元の高校生2人が通う校舎は、焼け野原に建ったという。
「もとの場所に学校をつくったんだ」。
私たちも戻れるかもしれないと勇気づけられた。

 父、祖母、弟と仮設住宅で暮らし、母と妹は山形県で避難生活を続ける。
中学から同じ陸上部だった親友は京都へ転校した。
自宅は4月に警戒区域を解除されたが、屋根裏に猫がすみ、家具が散乱し、雨漏りがしていた。
でも、「ここに住みたい、残りたい」。

 67年前の原爆と1年5ヵ月前の原発事故。
同じ核の被害と言っていいか。
「迷いはあるけど、大変な経験をしたという意味では一緒の立場。
私たちのように苦しむ人が増えて欲しくない」と願う。

 9日は長崎の平和祈念式典へ、21日はジュネーブへ。
国連欧州本部で「放射能への恐怖を感じない平和の世界を」と演説する。
将来の夢は、母校の電気科の先生に変わった。
「人の気持ちを考え、目標達成に向けて頑張ることを教えたい」

 

「希望、福島に持ち帰る」8月9日

 式典に若者たちの姿もあった。
核兵器廃絶を国連で訴えるため長崎から毎年派遣される「高校生平和大使」。
福島県から初めて選ばれた県立小高工業高3年の高野桜さん(18)は、目を閉じた。
「二度と放射能に苦しむ人が出ませんように」

 東京電力福島第一原発から北に15㌔の南相馬市小高区で生まれ育った。
高校に続く桜並木、みんなで遊んだ海を今年も見ていない。

 長崎の爆心地近くの通りは、かつて原爆で破壊されたと思えなかった。
「大切な人たちと暮らせる日がくるんじゃないか」。
自分たちが復興の担い手になる。
長崎を見て、やる気が出た。
平和を願う人々の声も聞き、「この経験を、まず自分の学校から伝えたい」。

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