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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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   宮城の「団地」収穫ピーク  

 東北随一のイチゴ産地だった宮城県亘理町が
東日本大震災で被災した農家向けに今夏整備した
「亘理イチゴ団地」で、初となる収穫作業が盛りを迎えている。
 
  「ここまで来た」と農家の平間勝彦さん(59)。
同町からは平間さんの親戚ら5戸が北海道に渡り、
姉妹都市の伊達市でイチゴ作りを再開する道を選んだが、
自らは故郷で再スタートを切った。
「おいしいイチゴをここから食卓に届けたい」と意気込んでいる。

 団地には鉄骨ハウス105棟が建ち、地上約1・1㍍のプランターに水に溶いた肥料を
点滴のように落とす「高設栽培」で、農家99人がイチゴ3品種を23㌶で作付けしている。
総事業費112億円は全て国費で、今年8月完成した。

 11月から始まった初の収穫は来年6月まで続くが、今が年内のピーク。
 25㌃の1棟で県のグランド品種「もういっこ」を栽培する平間さんは
仮設住宅から妻とともにハウスに通う。
自宅は津波で流され、農地35㌃も浸水した。
地下水に塩分が入り生産を断念しかけたが、水道水を使う団地の整備で道が開けた。

 高設栽培は、震災前に普及していた土壌に苗を植える「土耕栽培」より
作業効率が良いが、コスト管理や栽培の勝手が違う。
賃借りしているハウス内の土地も5年後に買い取らなくてはならない。
それでも「すべきことがなかった震災後の日々を思えば、イチゴを作れるだけでうれしい」。

 震災では町内のイチゴ作付面積約59㌶の9割が被災したが、
自力再建した農家に加え、隣の同県山元町とともに造成した団地の完成で本格化。
産地復活に近づいた。
両町産は「仙台イチゴ」の名で札幌などに出荷され、
伊達市の観光物産館でも「復興いちご」として売られている。

 伊達市には震災後、平間さんのおいの丸子裕人さん(34)ら5戸が移住。
今年4月に市や農協の支援を受けて自前の施設を持つイチゴ農家として独立した。
丸子さんは、故郷で再出発した平間さんらに「お互いに頑張っていければ」。
平間さんも「亘理の技術を北海道の皆さんにしっかりと伝えてほしい」と、
新天地に移った仲間たちにエールを送っている。

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