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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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  困難支え合った「絆」

 死のふちをさまよった事故から現役復帰したスキージャンパーの夫と、
献身的に支え合った妻の物語が、ドラマ化された。
モデルとなったのは、札幌市の金子ひとみさんと、夫の祐介さん(36)。
ひとみさんは夫が復活をとげた後、昨年、病で37歳の生涯を閉じた。

 祐介さんは五輪出場を目指していた2005年11月、遠征先のフィンランドで練習中、
空中でスキー板が外れる事故に遭った。
頭ら落下し大量出血、心臓も一時停止したほどの重傷。
緊急帰国し都内の病院に入院したが、事故後、
身の回りの物の呼び名を思い出せなくなった。

 そんな祐介さんを、婚約者のひとみさんは付きっきりで看病した。
祐介さんはひとみさんの名前も思い出せず、
最初は「親切な女の人がいるなあ」と思っていたという。
「生きていてさえくれたらいい」と、ひとみさんは、
物の名前を指さしながら思い出す訓練に付き添い続け、
祐介さんは記憶を徐々に取り戻した。

 リハビリを経て、祐介さんは事故から8ヵ月後には再びジャンプ台に立つ劇的な
回復をみせ、その冬の国体では優勝を果たした。
2人は2007年に結婚した。

 そのころ、検診でひとみさんに子宮頸がんが見つかった。
がんは進行し、ひとみさんはより自分に合った治療を求めて大阪や福岡、
横浜などの医療機関に入院した。
祐介さんは休日になるとひとみさんの入院先に向かい、
病室で共に時間を過ごしながら、妻をさえ続けた。
 
 祐介さんは08年3月、自信がバッケンレコード(最長不倒記録)の
145㍍を記録した大倉山ジャンプ競技で、選手生活に別れを告げた。
最後のジャンプを終えた祐介さんを、ひとみさんは「いい顔しているよ」と笑顔で迎えた。

 ひとみさんは約4年半の闘病生活の後、昨年5月、天国に旅立った。
葬儀には、700人が参列したという。

 降りかかる困難に涙しても、すっきり切り替えて前を向く強さを持ち、
皆に好かれたひとみさん。
「ひとちゃんに会いたい」と、その死を悼む周囲の声が多い中、
家族は今月初めインターネット上に「金子ひとみメモリアルウェーブサイト」を開いた。

 「どこまでも諦めない」ひとみさんの姿や思い出を、家族が折々綴っていく予定で、
アクセスは開設から20日足らずで6千を越えた。
「ひとみとご縁のあった人たちが、つながる広場にできれば」と
父の長井博さん(69)は話す。
祐介さんはいま、会社員生活のかたわら、依頼に応じて自身の体験を
小中学生などに語っている。

 「大けがを乗り越えてと思った後、大好きな妻を失った。つらく嫌な出来事も、
必ず生きる意味があることがきっと後になってわかる。だから、未来を信じて進んでいこう」。
子供たちに、そう呼びかけている。

 新たな目標もできた。
今月、飛型審判員としての一歩を踏み出した。
ジャンプ競技で、空中や着地の姿勢の美しさを審査する役割。
選手時代と違う発見がある。
いつか国際大会の審判資格を取るのが夢。

 ドラマ「バッケンレコードを越えて」は1月27日午後4時05分、UHBで放送予定。

 

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