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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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    「森山 俊」 北海道キャンピングガイド編集長

 
 初めてスキーを履いたのがいつだったかは思い出せないが、
少なくとも小学校の上がる前だったことは確かだ。
札幌市の宮ノ森に住んでいた小学校1年の頃は、周囲の畑や道路横の斜面に
小さなジャンプ台を作って、ひたすら飛んでいた。
笠谷や青地などのジャンプ選手はすべての少年の憧れだった。
飛ぶときもいちいち「ゼッケンなんば~ん、笠谷幸生く~ん、ニッカウヰスキー」と
自分でアナウンスしてから滑り出す。
しかし笠谷は上級生に取られてしまうので、
私はいつも他の選手で我慢しなければならなかった。

 小2で十勝に転校してからも父に連れられ、国設ぬかびらスキー場(当時)へよく出かけた。
高学年になると親抜きで友人と旧国鉄士幌線に乗り、せっせと通った。
出発は朝7時台で帰ってくるのは夕方6時過ぎ。
よく飽きずに滑っていたものだと思う。

 その後、高校に進んだ私は、ごく自然にスキー部に入り、冬の放課後は毎日、
学校から札幌藻岩山スキー場へ歩いて通ってナイター練習をしていた。
この頃はシーズン券を買って、ひと冬に50回以上はゲレンデに出ていたはず。

 そんな私がバックカントリー、いわゆる「山スキー」にハマったのは30歳を過ぎたころである。
道具一式をそろえ、最初は銭函から春香山へ登り、頂上直下にある「銀嶺荘」で1泊した。
スキーの滑走面に「シール」と呼ばれる滑り止めを付けて斜面を登り、
腰まで埋まるパウダーの中を、息が詰まりながら滑り降りる。
ゲレンデには慣れた私ではあるが、山スキーはすべてが新鮮だった。
しかし何より驚いたのは、札幌という大都会のすぐ近くに素晴らしい斜面や山小屋が
たくさんあり、愛好者も非常に多いということだった。

 たとえば春香山はその後も何度も登ったがどんなに朝早く出かけても、
例外なく先行者がいた。
小屋は小屋で、年配のグループで大にぎわいだ。
私は山スキーを通じて、北海道に根付くスキー文化の奥深さを知らされた気がした。

 山スキーのフィールドとして知られるのは、札幌周辺だけでも春香山、塩谷丸山、迷沢山、
奥手稲山、余市岳、無意根山、百松沢山など枚挙にいとまない。
ニセコは全山が対象だし、羊蹄山もフアンが多い。

 冬山に登る際は基本的に自己責任で、それなりの知識と経験が必要とされる。
悪天時に潔く引き返す勇気が必要だし、
そもそも悪天が予想されるときには山に入るべきではない。
最初は必ず経験者同伴で。
あるいはガイド付きの有料ツアーに参加するのが良いと思う。

 山スキーには、ゲレンデでは味わえない魅力と魔力が確かにある。
それを味わったとき、あなたはまたひとつ北海道のことが好きになるだろう。
朝日新聞記事

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