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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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         「イトウ」 平田 剛士 フリーランス記者

 1929年に北海道・京極町に生まれた草島清作さんと初めて会ったのは、
96年4月20日、倶知安町ひらふスキー場そばのペンションヴィレッヂハウスだった。

 当時66歳にして「尻別川のイトウ釣り名人」の尊称をほしいままにしていた彼が
「毎年100本(匹)から150本、30年でざっと3千本のイトウを釣ってきた」と語るのを聞いて、
私は思わず問い返していた。
「だから減っちゃったんじゃないんスか? 尻別のイトウ」

 こわもての名人が目玉をカッと見開くのを見て「しまった」と思ったが、
意外にも怒鳴り返されなかった。
 
 尻別川ではこの少し前から、名人のロッドにさえイトウがヒットしなくなっていた。
90年ごろまでの道内のイトウ釣りに、キャッチ&リリース(釣った魚を元気なまま逃がすこと)は
まだ浸透していない。

 なぜイトウが消えたのか、どうすれば復活するか ―。
この日は名人と釣り仲間が自主的に設けた相談の会合だった。
釣り人たちが一転、イトウの保護を言い出したのには罪滅ぼしの心理もあったと思う。

 「本気度」はすぐに証明される。
草島さんを会長に「オビラメの会」(「オビラメは尻別川産のイトウを指す地元での呼称)が
結成され、次々に手が打たれた。
固有性を守るためのオビラメ飼育。
生態学者と協議しての環境診断。
河川工事計画への提言。
魚道整備の実現。
繁殖地の「見守り」活動・・・。
2012年5月には、同会が人工孵化放流したオビラメ稚魚が9歳と8歳の親魚ペアとなって
回帰し、繁殖を果たせたことが初確認された。
活動は確かに実りつつある。

 この動きは尻別川に限らない。
20世紀末までの道内のイトウ生息地は縮小する一方だった。
だがこの15年、新たな絶滅水系はない。
それどころか、いくつの川では繁殖成績に向上が確認されている。

 「オビラメの会」とおおむね同時期に各地に生まれたグループが、
それぞれ地元で適切な対策を講じ、実現に向けて奔走してきた成果だ。

 始まりは、草島さんらの釣り人たちの「罪滅ぼし」だったかも知れない。
でも、今は胸を張れる。
絶滅危惧種から「幻に魚」のラベルを剥がしきる日も近い、と。 朝日新聞 記事

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