忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT
山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

    「大塚 洋一郎 さん(60) 」
    農商工連携サポートセンター代表

 ― どうして官僚を辞めて、NPOを立ち上げたのですか。

 役所で色々やらせたもらい、面白かった。
でも大臣審議官になって次は局長となると、現場から離れてしまう。
このまま調整役を続けるのかと悩んでしまいました。
政治家の朝食会で説明の順番を待っていたら、
当時、年金問題で苦労していた厚生労働省の役人らが終わって出てきました。
その顔が疲れ切って、どす黒く見えたんですよ。
もう役人は続けていかないと思い続けていました。
そのころ、経済産業省でソーシャルビジネスの担当もしていて、
社会を良くしようと生き生きと活動する人たちにたくさん出会った。
話を聞いているうちに、こっちの明るい世界に行きたいと思ってしまいました。
でも、妻は反対。3ヵ月間、口をきいてもらえませんでした。

 官僚を辞めます

― NPOで何をしょうと考えたのですか。

 役所を1年後に辞めますと宣言したときには具体的なことは決めていませんでした。
最後に作った法律は農商工等連携促進法。
当時の大臣が「これからは地域活性化のため経産省も農業をやろう」と号令をかけ、
初めて農業分野に取り組んだのです。
農業の生産分野と商品開発、流通をつなぐ仕組みを作った。
農業のNPOに誘われて耕作地の開墾作業も体験したのですが、しびれました。
体を使いすがすがしい喜びを感じました。
それまで宇宙や海洋開発に携わりましたが、どこか遠い世界のことで象徴的。
農業は人の生活に密着している。
食べることと作ることがつながると、生きている実感がわく。
農業体験を都会の人にしてもらい、生産者と消費者を
つなげたいという思いが生まれました。

― ご自身は農業をやったことはないんですよね。

  全くの素人。
みんなから「大丈夫か。全然知らないじゃないか」って心配されました。
「それが強みになる。どっぷりつかっている人には見えないことがあるんだ」と、
まあ、負け惜しみも含めて言ってました。
でも本当ですよ。
 宮城の被災地で塩に強いトマトを植えませんかと言った時も
「なに、ばかなこと言っとんじゃ」と断られ、農家を探すのが大変でした。
そんな気持ちになれないという時期ではありましたが、
無理だと考える人が多かったんです。

 リーダーが出る

― 農業で地域の活性化とは、どうやってやるのですか。

 まずは地域の人と集まって、どんな魅力があるかを書き出しながら話し合います。
牛がいる、花が咲いているとか。
魅力の再発見は、よそ者だからこそ気がつく。
それをどう特徴づけるのか。
話し合っていると、リーダーになる人が出てきます。
その人を中心に、都会から人を呼ぶ方法や新しい商品開発について話を深めていきます。
やりたいことがまとまったら、こうゆう補助金が使える、
そのために設立協議会を作って申請の書類を整えようとか、
具体的なステップを手伝います。
使える補助金はいっぱいあるのですが知られていないものが多いのです。

 ― 日本全国の過疎化に悩む地域では、若い人もいないし、
立ちゆかなくなると悩んでいます。

 「何とかしないと」と真剣に思う人がリーダーになっていきます。
強いリーダーシップのイメージで考えると、そんな人はいないと思ってしまう。
あのね、すごいのは女性ですよ。
男はダメだね。
理屈っぽいし、口が先に動く。
経験としがらみがあるから、新しい行動はしない。
女性は体が先に動くし、手も動く。
おばちゃんたちは「まずは作ってみましょう」と料理を色々生み出す。
頼りになりますよ。
チームを組んで名前をつけるんです。
ケチャップやポン酢などトマトの特産品を作った
愛媛県西伊予市の遊子川(ゆずかわ)の女性たちは「ザ・リコピッンズ」。
おそろいの緑のバンダナと赤いTシャツを着て、表に押し出していくと喜んで働きます。
一体感が出て熱いパワーが生まれてきます。
女性のアイデアから、新しい商品が作り出されることが多いです。

 ― 生み出した新商品を、どうやって売り出すのですか。

 人と物を双方向で交流させるとことが大事です。
土地の魅力を知ってもらうために、農業体験のツアーでまず訪れてもらい、食べてもらう。
行った地域の特産品を都会でも買えるように、
東京都千代田区と全国の産地市町村が連携して
「ちよだフードバレーネットワーク」を作りました。
県のアンテナショップや大手の店では売れる商品しか置いてもらえません。
小さな市町村の特産品の店「ちよだいちば」(千代田区神田錦町2-7、平日午前11時半~午後6時)でなら販売できます。
毎月1回、「いちばのちょい飲み」も開きます。
毎回一つの地域の人が来て特産品で料理を作り、
客が食べて飲んで地域を知ってもらう会です。

 常連のお客さんも増えてきました。
「おいしかった」「子どもが野菜をいっぱい食べてくれた」などと言ってくれます。
「ありがとう」って感謝されるのは、本当にうれしい。
役人の仕事はもちろん大事だし日本全体の役に立っていますが、実感はありませんでした。
今は目の前で、喜ぶ顔が見られます。 小さな店だけど、大きな手応えを感じます。

  プロフィル
★ 1954年、東京都府中市生まれ。
  北海道大学工学部原子工学科を卒業し、
 同大学研修過程を経て79年に科学技術庁(当時)に入庁。
★ 2002年、文部科学省の宇宙開発利用課長に。
  小惑星探査機「はやぶさ」の打ち上げに携わった。
  海洋地球課長として地球深部探査船を手がけ、米ワシントンに3年滞在。
★ 07年、経産省に異動し大臣官房審議官に。
  農商工等連携促進法の策定から施工、運用を手がける。
  09年7月14日に経産省を退職。
  同29日、農商工連携サポートセンターを設立。
★ 妻るりこさん(59)は北大の英語部の後輩。
  ひと目ぼれだった。
 役所を辞めることに大反対したが、NPO設立を前に
「今まで家族のために働いてきてくれた。これからは私が恩返しします」と言ってくれた。
薬剤師として家計を支えている。
 息子が2人。
★ サポートセンター愛媛事務局の米田佳代子さん(57)は
「官僚を辞めてはじけちゃって楽しそう。 コンサルタントと違うには、
自分と地域の人たちと同じことをするところ。一緒に考えて寄り添っていく人です」。

朝日新聞記事

生活習慣病の改善にサン ケミストフーズのカバノアナタケを、お試しください。

酵素培養・カバノアナタケ製品 無料サンプル・カプセル(菌子体 5 カプセル 菌核 5 カプセル)を
追加致しております。

サン ケミストフーズ関心空間
PR
   とれたてのイチゴを手に、笑顔。
  震災後に結成された「亘理おらほのいちご生産組合」を
応援し続けている。
若い農業者が地域を変える力になると信じている
=宮城県亘理町

    「大塚 洋一郎 さん(60)  
  農商工連携サポートセンター代表

 津波で海水をかぶった農地で作物が育つのか、わからなかった。
ならば、塩に強い品種のトマトを植えてみよう。
宮城県岩沼市の畑で都会から集まった49人のボランティアと苗を植えたのは、
2011年6月。
流された家も車もまだひっくり返ったままのころだ。
2ヶ月後、真っ赤な赤いトマトが実る。
収穫ツアーでは若い女性ボランティアたちの表情に満足感があふれた。

 「農が持つ命の輝きを肌で感じた。
なにもなくなったがれきだらけの土地だからこそ、
野菜が育つことが人々に与える力は大きい。農の力を広げたい。
それが被災地の希望につながること実感しました」。
経済産業省の官僚をやめて始めたNPO法人の活動に、確かな手ごたえを感じた。

 食と農業を通じ、都会と地方を結びつけて5年以上。
過疎に悩む地域から活性化の相談を受けて全国を飛び回る。
都会の人に農作業を体験させ、野菜を食べてもらうグリーンツーリズムを仕掛けよう。
商品の新しい販路を開拓しよう。
ひざをつき合わせて一緒に考える。

 補助金の取り方などを助言できるのが官僚の強み。
だが、手法は官僚的ではない。
鹿児島・奄美大島の大和村では追い込み漁に参加。
釣ったばかりのハリセンボンの鍋を公民館でみんなと食べて
「これ、うまいよ。こんなもの都会の人が食べられたら、びっくりするよ」と盛り上げ、
どこの家庭でも作る郷土料理「塩豚」の商品化を提案した。

 地元の人が気づかない良さを、よそ者だからこそ再発見できる。
「生産地の農家と食をつなげたい。食べることは作ること、生きている実感を味わえる」

 被災地は、活動の舞台であり続けている。
食品関係の企業などから数千万円の寄付を集め、農家を支援したいと農協を訪れた。
だが、一律に寄付金を配るならいいが特定の農家は紹介できない、という。
「そんな方法ではダメだ」。
やる気のある農家を見つけ、寄り添いながら支援しょうと決意した。
人づてに、ビニールハウスが損壊しても露地でイチゴを植え始めていた
宮城県亘理町の若手農家を紹介される。
支援企業の社員やボランティアと苗植えから手伝った。
「おらほのいちご生産組合」は今、作ったイチゴを農協を通さず、すべて自分たちで売る。
イチゴジャムも商品開発をした。

 あの時、トマトに賭けた八巻文彦さん(45)は、実は震災直後、
農業をやめようかと考えていた。
それが、トマトに続いてカブ、白菜に挑み、「岩沼白菜」はブランドに育ちつつある。
「命の恩人って言うと大げさかな。もう一度やろうという気持ちと再起への道を作ってくれた」

 震災から4年。
いよいよ必要なのは農業を含めた産業の復興。
やる気のある農家が継続的に食べていける仕組みを作りたい。
昨年6月、東京都千代田区で地方の野菜や特産品を売る店「ちよだいちば」を開いた。
亘理の大粒なイチゴがぎゅっと詰まったジャムも、店頭に並んでいる。朝日新聞記事

生活習慣病の改善にサン ケミストフーズのカバノアナタケを、お試しください。

酵素培養・カバノアナタケ製品 無料サンプル・カプセル(菌子体 5 カプセル 菌核 5 カプセル)を
追加致しております。

サン ケミストフーズ関心空間
      「十勝若牛」

 炭火焼きした肉の断面はバラ色で、見るからにしっとりしている。
ホルスタインのオスを肉用に育て、若いうちに出荷する「十勝若牛」。
やわらかな赤身という個性は、霜降り重視の肉の世界をひっくり返すパワーを秘めている。

 2月下旬、東京都世田谷区のイタリア料理店で、
十勝清水町農業協同組合(JA十勝清水町)が十勝若牛の試食会を開いた。
生産組合の吉田哲朗(38)組合長が健康な牛の育て方を説明する相手は、
料理研究家の女性たちだ。
吉田さんは「食べた感想から、どんな肉質を目指せばいいのかを教わりにきました」。

 参加者の1人、横浜市内で料理教室を開く高谷華子さん(47)は、
モニターとして自宅でも十勝若牛を調理した。
「淡い色で第一印象はスーパーの安い肉だったのに、上品な味わい。驚きました」。
ローストビーフはワサビしょうゆ、しゃぶしゃぶもさっぱりしてゴマだれによく合った。
「和食の献立にすんなりと溶け込むと思います」

 清水町は十勝有数の酪農地帯。
ホルスタインの子牛が年に約1万頭生まれる。
その半分5000千頭のオスにどう商品価値を付けるかは、農家の安定経営にかかわる。

 ホルスタインはサシが入りにくい。
黒毛和種を頂点とする市場で、相場は国産牛の乳用種としてひとくくり。
輸入牛との価格競争にさらされる。
JA十勝清水参事の岡田繁さん(53)は「他にない特徴を持つ肉が必要でした」。
 
 岡田さんが農協に入った1980年代半ば、
酪農家は設備投資の借金と乳価の下落に苦しめられていた。
支出を抑えるだけでは問題は解決しない。
生産性を伸ばし、「売り」に強い農協に変わろうという決意が出発点だ。

 ホルスタインは生後14ヵ月まではぐんぐん筋肉が増え、
その後じわじわ脂肪をつけていく。
生牛になると出てくる特有のくせを嫌がる消費者もいる。
岡田さんたちは、サシ重視の流れに背を向けて、
肉がやわらかでくせのない段階で出荷する道を選んだ。

 事業開始は96年、肉にうまみを出すのが当初の課題だった。
「手本がないので、できた肉を食べては飼料の中身や与え方を考える繰り返し。
3年で納得できた」

 消費者の反応も通常とは逆で、女性や子どもに人気。
普段は肉を敬遠する人が「これは食べられる」と言ってくれる。
全国の銘柄牛が集まるグルメイベント「牛肉サミット」に参加し、
あっさり味を強調した「ローストビーフにぎり」で優勝、
地域ブランドとして商標登録もなかった。

 次は、流通に対して価格の優位性を認めてもらうこと。
2年ほど前から「プレミアム」と呼び、より高い肉質に仕上げる飼育法にも取り組んでいる。

 東京の試食会で、「ブランドになるのでは」と声があがったのが若牛の内臓料理だった。
シェフの腕を差し引いても、タンやレバーも胃袋も、
かむほどに甘みがあって、後味がやさしい。
「一番大事なのは牛の健康」という組合長の言葉と重なった。

 肉用牛の」格付けと評価  
 北海道内で育てている牛は2014年で約51万頭。
乳用種が約33万4千頭で全体の65%を占める。
13年の食肉格付けの結果で、黒毛和種の中心が上位のA3、A4なのに対し、
乳用種の去勢ではB2ランクが約68%だった。

 健康長寿を求める消費者の牛肉への感心は、
ごちそうを象徴する霜降りから、赤身肉へと多様化している。
画像解析による食肉の評価法に取り組む帯広畜産大学の田口圭吾教授は
「消費者が食味で肉を選ぶための手がかりを作りたい。
脂肪の多さのほかにも肉の価値をはかる物差しがあっていい」と話す。
 朝日新聞(長沢 美津子 記者)

生活習慣病の改善にサン ケミストフーズのカバノアナタケを、お試しください。

酵素培養・カバノアナタケ製品 無料サンプル・カプセル(菌子体 5 カプセル 菌核 5 カプセル)を
追加致しております。

サン ケミストフーズ関心空間
 「ぬかびら源泉郷」 北海道・上士幌町

 身も心も冷え込む夜は、湯ごもりして、
おいしいものを食べるのが一番。
そんな夢を2倍にして叶えてくれる場所が、
大雪山系の懐に抱かれた上士幌町にある。
名付けて「味めぐり」。
連泊した人にだけついてくる、ちょっぴり大人の贅沢がる。

 JR帯広駅から十勝バスで1時間40分。
終点で降りると、そこは「ぬかびら源泉郷」の玄関だ。
9軒の宿が肩を寄せ合うように並ぶ。
温泉街の端から端まで歩いて5分とかからない。

 「ぬかびら一宿」。
温泉街全体で一つの宿という考え方から、味めぐりは生まれた。
連泊すると、2柏目以降の夕食や朝食を別の宿で食べられる。

 1990年代、開発の波から取り残された温泉街は、閑古鳥が鳴いていた。
「いつ、宿をたたもうか」。
よちよち歩きのわが子の寝顔を見ながら、「山の旅籠 山湖荘」の3代目、
蟹谷吉弘さん(52)は、頭を悩ませていた。
転機は99年。
ぬかびらの旅館仲間で、熊本・黒川温泉を訪れた。
別府でも由布院でもない、山奥の鄙びた温泉地が多くの客を魅了していた。

 翌年、黒川にならって外湯をはしごできる「湯めぐり手形」を導入。
1年後には、連泊すれば無料で湯めぐりできるようにした。

 「黒川を越えたい」 蟹谷さんらが次に目をつけたのが、宿の食事だ。
温泉だけでなく、食事もあちこち楽しめたら。
「私自身、同じ宿に連泊するより、違うところに泊まりたいと思う方だ。
和食、洋食、中華・・・と、毎晩好きな食事を選べるホテルのようにできればいいな、と」

 2001年、向かいの「中村屋」と2軒で味めぐりを始めた。
いまでは夕食が6軒、朝食は4軒が参加する。
泊まった宿が食事代分を割引き、食べに行った先で食事代を支払う。
夕食は1600~5500円。
朝食は1千~1500円だ。

 「中村屋」の若主人、中村健次さん(37)は言う。
「温泉と自然しかなく、目立った観光名所がないぬかびらだから、
ほかの宿のお風呂や食事を、旅の『目的地』にしてもらえばいいと思うんです」

  客は食べ比べて、容赦なく優劣を見極める。
「それぞれが自信を持っていないと、できません」と蟹谷さん。
宿は協力しつつ競い合い、切磋琢磨する。
小さな温泉地が大きな挑戦を続けている。

  こんなところ  
 JR帯広駅から午後2時発の十勝バスを利用するのが便利。
1919(大正8)年に原生林の中で温泉が発見された。
肌が滑らかになるナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉(重曹泉)で、
9軒あるホテル、旅館、ペンション、ユースホテル・コテージのすべてが温泉掛け流し、
温泉街には、全国でも珍しい「手湯」を持つ郵便局があるほか、
ぬかびら温泉郷スキー場もある。
3月中旬ごろまで糠平湖でワカサギ釣りが楽しめるほか、
旧国鉄士幌線のアーチ橋、タウシュベツ橋を訪れる
スノシューツアー(NPOひがし大雪自然ガイドセンター主催3700円)もある。
朝日新聞(日比野 容子記者)

生活習慣病の改善にサン ケミストフーズのカバノアナタケを、お試しください。

酵素培養・カバノアナタケ製品 無料サンプル・カプセル(菌子体 5 カプセル 菌核 5 カプセル)を
追加致しております。

サン ケミストフーズ関心空間
                       W杯個人最終戦を制し、
  笑顔を見せる高梨沙羅

  高梨沙羅 「最終戦V」3月13日

 女子W杯 スキージャンプ オスロで
個人最終戦(HS 134㍍)があり、高梨沙羅(クラレ)が2回とも
トップの得点を記録して263・8点で優勝、
通算30勝目をあげた。

  高梨は4連戦で今季W杯を締めくくったが、ランキング首位の
ダニエラ・イラシュコ(オーストリア)に届かず、種目別の総合3連覇を逃がした。

  日本勢は伊藤有希(土屋ホーム)が7位。
岩淵香里(松本大)が29位、勢藤優花(北海道・旭川龍谷校)は30位に終わった。

  「自信は最後までなかった」。
今季の不調を引きずるような気持ちで、高梨はW杯最終戦を迎えていた。

 2月の世界選手権では団体でメダルを獲得したものの、個人種目ではメダルを逃がす。
その後の国内の大会でも2度、2位に終わるなど調子はいま一つだった。

 ところが、この日の高梨は1回目から全開だった。
「空中にいる時間が長くて楽しい」という好みのラージヒルで、
K点(120㍍)を大きく超える128㍍の大ジャンプ。
課題の着地のテレマークもきっちり入れて首位で折り返した。

 迎えた2回目。
直前に2位のサラ・ヘンドリクソンが128・5㍍を飛び、プレッシャーをかけられた。
それでも「あこがれの選手と優勝を争えて胸がわくわくした」という高梨は2回目も127㍍。
飛距距離こそ2位だったが、飛型点で上回り、再びトップの得点を記録した。
完勝に、「まだまだ納得しないけれども、現時点のいいジャンプが出せた」と喜んだ。

 種目別の総合3連覇は逃した。
今季は「失敗が多く苦しんだシーズン」と振り返った。
まだ18歳。
来季の糧にするつもりだ。

  7位に入った伊藤  
 「1回目は今季一番いいジャンプだったけど、2回目はタイミングが遅れる大失敗で悔しい。
今季はトップ10で安定していたが安定するのはそこでなく、もっと上」

 「高梨V3逃がし総合2位」
 高橋沙羅が種目別の総合3連覇を逃した。
オスロで行われたW杯の個人最終戦で、高梨は2回ともトップの得点を記録して
W杯通算30勝目を飾ったが、ランキング首位のダニエラ・イラシュコに届かず、
総合2位だった。

 総合3連覇を逃がした高梨は「アプローチ(助走)で安定した滑りができていなかった。
運頼みだった」と今季を振り返る。
基本技術の乱れが不調を招いた。
シーズン中にジャンプ台を使った練習が不足したり、道具が何度も壊れたり。
トラブル続きで自分のジャンプを固められず、焦ってことが原因だった。
18戦15勝と圧倒した昨季から一転、今季は13戦6勝。
勝利数こそトップだったが、総合得点でイラシュコに届かなかった。

 各国のレベルも見逃せない。
イラシュコは「選手の質が上がり、これまでで一番ハイレベルな年だった」と話す。
日本の小川孝博コーチによると、高梨が飛ぶとき海外勢が必ず映像を撮っており、
研究に余念がなかったという。
昨季までの高梨は少々のミスがあっても、飛距離の差で逃げ切れたが、
今季は「最終的に(着地の)テレマーク(ができるの)勝負になったことが多かった」(高梨)。

 試行錯誤しながらも、4連戦でW杯を締めくくったのはさすがだ。
「失敗しても、考えて自分なりに答えを出せたのが成長」だという。
だからこそ18歳は言える。
「学んだことがたくさんあり、内容の濃い一年だった」  朝日新聞(河野 正樹 記者)


    「葛西 2位今季6度目の表彰台」3月15日  
 スキージャンプW杯 個人第29戦(HS 134㍍)が15日、ノルウェーのオスロであり、
葛西紀明(土屋ホーム)が2位に入った。
表彰台に上がるのは今季6度目で、自身が持つ最年長記録を42歳9ヵ月に更新した。
葛西は、1、2回とも128・5㍍を飛んで、254・9点をマークした。
258・9点のセベリン・フロイント(ドイツ)がW杯4連勝で今季9勝目。

 栃本翔平(雪印メグミルク)は11位、竹内択(北野建設)は20位。
伊東大貴(雪印メグミルク)は36位、小林潤志朗(同)は39位、
作山憲斗(北野建設)は48位で上位30番までの2回目に進めなかった。

 14日にオスロであった個人第28戦では葛西は3位と1点差の4位だった。
竹内は8位、小林は19位、伊藤は28位。
作山と栃本は上位30人による2回目に進めなかった。

 やばい でも立て直したい
 葛西は前日の第28戦で、3位とわずかな差の4位。
きっちりと手応えをつかんでいた。

 風がめまぐるしく変わるジャンプ台。
1回目から128・5㍍の大ジャンプで2位につけた。
迎えた2回目。
飛んだ瞬間、「ちょっと踏み外し、やばいと思った」。
それでも立て直して同じ距離を飛び、フロイントを残してトップに。
大ジャンプを2本そろえ、ガッツポーズを繰り返した。

 フロイントに抜かれたものの、W杯個人戦で表彰台は1ヵ月ぶりだ。
優勝を争うのは一回り以上年下の選手たちだが、
42歳のベテランは元気さでも引けを取っていない。

生活習慣病の改善にサン ケミストフーズのカバノアナタケを、お試しください。

酵素培養・カバノアナタケ製品 無料サンプル・カプセル(菌子体 5 カプセル 菌核 5 カプセル)を
追加致しております。

サン ケミストフーズ関心空間
忍者ブログ [PR]