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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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  開発した極地用の「ポーラーダウンパーカ(3万6千円)。
 質はもちろん、安さにこだわった。
 
「岩野 祥子さん(38)」モンベル広報部員


 登山家の辰野勇氏が創業したモンベルの社員には、アウトドア愛好家が多い。
南極に計853日滞在した人は、ほかにいない。

 京都大学院で測地学を学んだ。
専攻は、地球全体を研究する地球惑星科学。

  2000年11月から02年3月まで、第42次南極観測隊に参加。
モンベル入社後も、06年11月から08年3月までの第48次観測隊に。
どちらも急きょの欠員で声がかかった。
地穀変動の観測を担当。経験した最低気温は零下61・7度。
澄んだ空気によって青やピンク、オレンジにうつろう圧倒的な色彩の空に、心を奪われた。

  そんな南極の経験を生かして提案したのが、
12年に発売した極地用防寒着の上下「ポーラーダウンパーカ/ビブ」。

 最初に南極を訪れたとき、観測隊に女性が加わったのはまだ2度目。
隊から支給された防寒着は、男性向けで大きく重く動きずらかった。
「いざというとき、思うように動けなかったら・・・」。
不安を感じた。
「モンベルなら、同じ値段で良いものをつくれるはずでは」。
そんな思いで入社以来ずっと提案し続けていた。

 極地の強風で飛ばないよう、小物は身につけていたい。
カメラや衛星電話の予備バッテリーなど、低温に弱い機材を入れる大きな内ポケットもほしい。
野外作業中、針金が引っかからない丈夫な素材も。

 開発したパーカでは、表地には耐摩耗性がある素材を厚めに使った。
そして内外10個のポケット、左肩にペンホルダーもつく。
ジッパーは、凍傷防止のために樹脂製。

 小さいときから山登りが好きだった。
両親と、よく山に行った。
中学・高校時代は、希望者が登山する行事に参加。
本格的な装備を買って、訓練のために学校の周りを背負って歩いた。
「女子校だったですけどね」。
大学でも、山の散策サークルとスキー部を楽しんだ。

 社会に出て、モンベルに入るのは自然な流れだった。
昔から製品を使っていて、10年近く愛用した長袖Tシャツははじめての南極に持っていった。
入社後も自分が「欲しい」ものをとにかく提案。
約6年で提案した商品や修正点は99件にのぼる。

 ふだんは冒険を後押しする仕事をしている。
会社が装備や資金を提供す「チャレンジ支援」や、サバイバル技術を伝える「冒険塾」など、
会長の辰野氏の発案を形にしてきた。
冒険という挑戦を大事にする社会にしたいと考えている。

 東日本大震災で、新しい思いも加わった。
寝袋などを提供しようと発生後に被災地に入った。
寝袋があるだけで、心身の負担がかなり軽くなる。
でも、慣れないためか、使ってくれる被災者は少なかった。
「アウトドアが浸透していれば、より多くの人の大変さが和らいだのでは」。
悔しさがあった。

 だから、少しでも関心を寄せる人には、積極的に声をかける。
最近も初心者の女性を誘いシーカヤックに。
「アウトドアの経験やグッツは、災害対策にもなる。
いろいろな人に楽しさを紹介したい」 貫く「体験主義」 何事も体験しないと気が済まない。
 
 2010年春、思い立って北極に行った。
講演で南極の話をするとき、比べやすい北極を引き合いに出すことが多かった。
でも「見てないことは話しづらくて」。
しばらく滞在して現地の人とも交流。
ようやく北極行きを相談されたときに「行けば何とかなるよ」と
自信を持って進められるようになった。
「何でもメモに」 手のひらサイズのノートを常に持ち歩く。
読みたい本、話した内容、週末の登山の装備リスト・・・。
とにかく何でもメモする。
南極でも持ち歩いていた。
「ない生活は考えられない」 朝日新聞
 
 いわの・さちこ
 
愛知県豊田市出身。
 2005年にモンベルに入社。
入社後に声がかかった2度目の南極行きは「さすがに悩んだ」が、
辰野勇会長が背中を押してくれた。
退社し、帰国後復職。
 
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