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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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  「古墳」

 北海道にも古墳があるといえば驚かれるかもしれない。

 アイヌ民族は北海道縄文人の末裔だ。
しかし読縄文時代以降、北海道にいたのはアイヌだけではない。
4世紀前から1千年近く、サハリンから南下したオホーツク人が
オホーツク海沿岸を占めていた。
かれらは漁民だが、大陸と交易もおこなっていた。

 一方、オホーツク人が南下した4世紀以降、アイヌ民族は東北北部に南下し、
古墳文化の人びとと交易をおこなっていた。
アイヌとオホーツク人は緊張感をもちながら北海道ですみ分けしていたのだ。

 しかし6世紀以降、オホーツク人は日本海を南下し、アイヌの領域であった道南や、
東北北部に姿を見せるようになる。
かれらも本州の古墳人と交易を求めたようだ。
オホーツク人の介入によって、アイヌと古墳人の交易は混乱しただろう。

  『日本書記』には7世紀後葉、中央から派遣された 阿倍比羅夫の軍団が
渡島(北海道)に達し、粛慎(オホーツク人)から危害を加えられていた
渡島蝦夷(アイヌ)に加勢し、粛慎を討ったという記録がある。
この事件は当時のオホーツク人とアイヌの関係をよく表している。

 比羅夫遠征の直後、オホーツク人は道北に撤退し、
入れかわるように東北北部の人びとが道央に移住をはじめた。

 この移住者アイヌの人々に古代日本の農耕文化や祭りなどを伝えたとみられる。
そして、9世紀まで千歳・恵庭・江別・札幌などに暮らしていた
移住者の残した墓が古墳なのだ。
これは直径5~10㍍の円形に溝をめぐらせ、
その内側に棺を置き、土を盛ったものだ。

 古墳はアイヌの葬制にも変化をもたらした。
埋葬姿勢がそれまでの屈葬から古墳と同じ伸展葬に変わった。
古墳のように盛り土のあるアイヌの墓があってもよさそうだが、
まだみつかっていない。

 興味深いのは、古墳が作られた道央の中世から近世のアイヌの墓は、
溝と盛り土があって古墳そっくりなのだ。
ただし移住者が古墳を残した時代とは離れており、
直接の関係はないのかもしれない。
いずれにしろ古墳は、
アイヌとオホーツク人・古墳人をめぐる激動の時代の遺産なのだ。
(瀬川拓郎・旭川市博物科学館主幹)  朝日新聞

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