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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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  「日の出貝塚」北海道・浜頓別  

 宗谷管内浜頓別町にある日本最北の縄文貝塚
「日の出貝塚」が、「縄文期の道北は人があまり住んでいない
"過疎地〟だった」という考古学の常識を覆そうとしている。

 名古屋大の新美倫子准教授(動物考古学)を中心に本年度まで3ヵ年、
発掘調査した結果、貝塚は予想よりははるかに大きく、最北の環境に適応した人々が
100人以上の大集落を形成していた可能性が高まったからだ。

 新美準教授は新年度からさらに3ヵ年の調査継続を文部科学省に申請。
最北の縄文人の暮らし解明を目指す。

 クッチャロ湖畔にある日の出貝塚は約5800年前の縄文文明期のもので、
オホーツク海側での縄文貝塚はほかに北見市常呂、
根室市温根沼の2ヵ所しか確認例がない。
1958~59年に北大と浜頓別町教委が長さ27㍍、幅1・5㍍のトレンチ(試掘講)を掘り、
黒曜石やカキなどの貝殻、アシカなど怪獣の骨が出土しているが、
詳しい形成過程や規模などは明らかになっていなかった。

 温根沼の貝塚の調査にも携わった新美准教授ら名大中心のチームが
文科省の科学研究費補助金で3ヵ年にわたり半世紀ぶりに発掘。
当初は全長十数㍍程度かとみられていたが、
昨年9月に最終的に全長63㍍、幅36㍍に及ぶことが分かった。

 貝塚に沿って、住民の暖房や調理で出たとみられる炭や灰、
焼土を含む大量の盛り土も発見。
新美准教授は「これだけの貝や焼土は数家族程度の小集落では出ない」と語る。

 道北は縄文期の大集落が未発見のため、考古学の常識で過疎地とされてきたが、
新美准教授は「日の出貝塚が大集落なら、
道北で大集落があるのはここだけとは考えられず、常識が覆る」と言う。

 このほか日の出貝塚では、現在は宮城県以南にしかいない
二枚貝シオフキなども見つかり、
新美准教授は「当時の気候は温暖化が想像以上だった」と推測する。
今回の調査で収集した貝などの分析では、日本海側から宗谷海峡を
越えてくる暖流の影響で、道北の海水温は道東より高かったことも判明。
暖流は気温にも影響し、道北の居住環境の厳しさをかなり和らげていた
可能性があるという。

 北大の調査で大量に出土したアシカ類の骨からも、
新美准教授は「人々には高い狩猟技術があった。アシカ類の狩猟は本州以南にはなく、
縄文前期に既に北方の環境への適応がかなり進んでいたことが分かる」と説明する。

 今後、住居跡を発見したり、土中の花粉などから当時の植物を割り出せば、
最北の暮らしや北方適応の様子、生活の環境を明らかにできるという。

 新美准教授「北海道が本州と異なる独自の道を歩み、
やがてアイヌ文化が成立する流れの起点も探ることもできる」と説く。

 文科省研究費による調査継続の可否は4月に決まる見通しだ。
  北海道新聞 枝幸支局 (太田一郎 記者)

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