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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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       「十勝岳温泉」上富良野町


  標高1280㍍に位置する北海道最高地の
「十勝岳温泉・凌雲閣」。
全道的に吹雪に見舞われた昨年12月中旬の取材当日は、
猛烈な風のうなり声とともに木造の建物全体がガタガタと揺れ、
大雪連峰のパノラマが自慢の宿も、
10㍍先のエゾマツの影がぼんやり見えるだけ。
あとはただただ「白」の世界だった。

 「このぐらいの吹雪なら出動しましたよ」。
宿の2代目、会田義寛さん(82)は3年前まで地元の山岳救助隊長を30年間努めた。
「樹影さえ見えれば方角と地形は頭にある。怖いことなかった」

 安政火口そばに泉源を見つけ、1963年に宿を始めた
父親の故・久佐エ門さん(1905~74)から「自分の山で遭難があるなんて恥ずかしい」と
救助隊長になることを進められた。
十勝岳の山道や案内板作りを進めたのも初代だ。
命の危険と隣り合わせの任務だが、スキーが得意の息子に父は
「人の寿命はローソクの炎が消えた瞬間と決まっている。山の風が強くても、
そのローソクの場所には吹いていない」と説いていたという。

 荒天の冬場は零下20度、風速20㍍。
乾いた粉雪は軽く深く、腰やときには首まで埋まる。
スノーモービルは使いものにならず遭難の連絡が入ると
10人ほどの隊員を引き連れてスキーで出かけた。

 20年前、その救助隊が猛吹雪の中で孤立した。
稜線上に目印の木がなく、意を決して崖を下ったが、途中で身動きが取れなくなった。
烈風にさらされた会田さんのほほが割れ、血がしたたり落ちた。
振り向くと隊員らはスキー板を捨て稜線に引き返していた。
「スキーを放置してどう動くんだ」。
3人分のスキー板を脇に抱え、腰までの雪の中を稜線に這い上がろうともがいた時、
経験のない感覚に出会った。
谷からの強風で板があおられ、登る足取りが軽くなったのだ。
「助かった」

 妻サワさん(82)は「当時は言えませんでしたが、そんな日には行ってほしくなくて、
宿から遠目に山腹の夫を捜していました」と打ち明ける。

 「隊員からずいぶんと恨まれた」と笑う義寛さんだが、泉源のポンプが吹雪で故障すると、
深雪を数百㍍漕いで修理に無償で協力してくれるのも救助隊員の「教え子」たちだ。
最高地の温泉宿は、湯の維持も粉雪との戦いだ。

 こんなところ
 稜線閣は360度見渡せる大雪連峰のパノラマが自慢。
露天風呂からは富良野岳、上ホロカメットク、三峰山などの山々や
ヤツデ岩など奇岩の数々が望める。
湯は泉源の違う「酸性・含鉄硫酸塩泉」と「カルシウム・ナトリウム硫酸塩泉の2種類で、
いずれも源泉かけ流し。
後者の湯は濃い赤茶色が特徴的で、ともに神経痛、関節痛、皮膚病、冷え性などに
効果があるとされる。
全16室で登山客や山スキーの利用客も多い。
日帰り温泉(大人600円〈夏季800円〉、小学生300円〈同400円〉、
幼児無料)は午前8時~午後8時 朝日新聞(渡辺 康人記者)

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                        「丸駒温泉」千歳市

 支笏湖の奥にどっしりと構える建物。
玄関前には「日本秘湯を守る会」と記された、大きなちょうちん。
丸駒温泉は来年、創業100年を迎える。

 1915年(大正4)年冬、辺り一面が凍りそうな中、
1そうの舟が支笏湖を奥へ進んでいた。
舟に乗っていたのは創業者の佐々木初太郎氏と妻トヨさん、
そして養子の広見氏の3人。
湖畔に到着するとやぶをかきわけ、
地熱で雪のない場所を見つけ一晩明かしたという。
「丸駒」の歴史がここから始まった。

 佐々木夫妻には実の子がおらず、広見氏を養子に迎えていた。
佐々木夫妻が実家のあった福島から呼び寄せて広見氏の妻にしたのが、
丸駒の2代目、いまの旅館の礎を築いたヨシヱさんだ。

 今でこそ車で気軽に行ける温泉だが、道路がつながったのは
1972年の札幌冬期五輪に合わせてだ。
それまでは対岸からの舟が唯一の交通手段だった。

 ヨシヱさんは桟橋で、温泉を去る人の姿が見えなくなるまで必ず手を振り続けた。
「毎度アリガトウ感謝シマス。今日もニコニコ、明日もニコニコ」が信条で、
みんなからは「丸駒のばあちゃん」と呼ばれていた。

 「お客さんのことを第一に考えていた人ですね」と振り返るのは、
4代目の総支配人、佐々木義郎さん(51)。
食堂を閉めた後でも、求められればおにぎりとみそ汁だけを出したという。
「これだけでも立派なごちそうになる」と教えられたという。

  義郎さんが語るヨシヱさんのエピソードは数知れない。
 広見氏とは後に離婚したが、「生活に困らないようにと、いろいろと支援していたらしい」と
いうのもひとつ。
ほかにも、「出世してから払いに来ればいい」と大学生から宿賃を取らなかったとか、
死に場所を探しに来た客をさとし、逆にお金を持たせて帰したとか・・・。

 毎年お盆の時期になると、旅館の向かいの建物に足を運び、
仏壇の位牌に手を合わせていくお客が後を絶たない。

 義郎さんは、ヨシヱさんの背中を思い出して実感する。
「秘湯とは、湯や建物だけでない。秘湯とは人なり」

 「こんなところ」
 
「丸駒」は、作業用の馬がケガをした時にこの地で癒したことに由来。
泉質は塩化物泉で、海水の成分に似た塩を含み、保湿効果があるとされる。
支笏湖に接した露天風呂は足元から湯が沸く。
全国でも20ヶ所ほどしかないという。

 支笏湖はヒメマスが名産。
道産米と丸駒の天然水を使用した初代名を冠にしたオリジナルの清酒「初太郎」もある。
いまも電気は自家発電で、湖水をろかした飲用水もおいしいと評判だ。

  千歳空港から車で約45分、札幌から車で約50分。
無料送迎バスもある。
問い合わせは0123・25・2141へ。

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          色、音、香り「五感で楽しむ」

  
泉で体も心も温まりたくなる季節です。
いで湯と温泉地の魅力を満喫する方法を、3人の専門家聞きました。

 温泉は日本中あちこちにある。
源泉の数は約2万7千本、宿泊施設がある温泉は約3千ヵ所に上るという。

 国内外の温泉を訪ね歩いてきた温泉評論家で日本温泉地域学会会長の石川理夫さんは
「まずは、お湯そのものを五感で楽しむ。その上で、
温泉街のたたずみなど温泉地の魅力も味わってほしい」と話す。

 乳白色や赤褐色、青色など、いで湯はさまざまな色あり、
1日のうちで色調が変わるものもあるという。
静寂の中で湯口から注がれる湯の音を聞き、
ほのかに立ち上がる湯の香りをかいでリラックスする。
つるつる、しっとりなど肌ざわりも全身で感じられる。
許可された温泉場では適量を飲むことができる。
「温泉は人の個性と同じように十湯十色。微妙に違う持ち味を知り、
個性のいい温泉を見つける過程も楽しんでみてはどうでしょう」
掲示されている泉質や成分、温度、禁忌などをメモしておくと役に立つ。

 特に療養に役立つ温泉を「療養泉」といい、主に10種の泉質に分けられる。
日本健康開発財団温泉医科学研究所の後藤康彰・主任研究員は
「寒い時期は保温効果が高い塩化物泉や二酸化炭素泉がオススメです。
それぞれの泉質には固有の適応症があるので目的にそって選ぶといいでしょう」と言う。

 ただし、適応症はすぐに効き目があるというものではない。
「温泉に加え、風景や旬の味覚などを楽しむことが心身の健康につながります」。
後藤さんは自称「東京チャリ温泉」と「温泉ラン」を楽しんでいるという。
自転車で温泉を巡ったり、ランナー仲間と温泉施設をゴールにして走ったりする。

 冬の温泉には注意が必要だ。
寒さのため足元が凍結して露天風呂で転倒事故や、居室と温泉場との温度差で血圧が
急激に変化するヒートショックが起きやすい。
「年配の人は1人での利用は避けた方がいい。
暖かい衣類を着て行くなど工夫をしましょう」とアドバイスする。

 浴槽に入る前には十分掛け湯をして温度に慣れる。
重い高血圧症の人や脳卒中などを経験した人には42度以上の高温浴を避けるのが望ましい。
飲酒は入浴後に。
入浴前後にはコップ1杯程度の水分補給も忘れずに。

 温泉地に宿泊する場合、旅館の雰囲気を重視する人もいるだろう。
旅ジャーナリスト、のかた・あきこさんによると、最近の温泉旅館のトレンドは「木造回帰」。
たとえば岐阜県の奥飛騨温泉郷・福地温泉の宿は古民家を移築して旅館に再生した。

 冬の温泉地と言えば雪景色が人気。
新潟県の松之山温泉などでは、西洋式のかんじき「スノーシュー」をはいて
ブナ林の散策体験もできる。
のなかさんは「真っ白や世界に向き合うと、心が浄化され、
エネルギーがわいてくる。雪見風呂も最高ですよ」と話している。

 温泉の主な泉質と特徴

単純温泉 (大分県由布院温泉など) 刺激がマイルド=不眠症など

塩化物泉 (兵庫県有馬温泉など) 皮膚に塩分が付き保温効果がある=便秘(飲用)切り傷など
酸性泉 (群馬県草津温泉など) 殺菌力が強い=アトピー性皮膚炎など

炭酸水素塩泉(和歌山県龍神温泉など) 皮膚の角質を軟化する作用がある
=糖尿病(服用)・皮膚乾燥症など

二酸化炭素泉(大分県長湯温泉など) 炭酸ガスが皮膚から吸収され保温効果がある=
胃腸機能低下(飲用)冷え性など   朝日新聞(森本 美紀記者)

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    「ニセコ五色温泉」

 小雪舞う1月の早朝。
スキーをつけた十数人が、深雪の急斜面をラッセルしながら登る。
振り返れば雪のかすむニセコ五色温泉。
尾根に着くとシール(滑り止め)をスキーから外して、ふかふかの新雪の斜面に飛び出す。
宙を飛ぶような滑降に歓声があがる。

 「今日も雪がいいね」。
滑り終えた橋田恵詞さん(62)=札幌市=が笑顔で言う。
夏はカヌー、冬はスキーを楽しむ「ティピーの会」代表を務める。
ニセコ五色温泉旅館の自炊ができる部屋に泊まって雪山を楽しむのは、
十数年続く会の恒例行事だ。

 「玄関を一歩出れば雪山。滑った後は源泉掛け流しの温泉。
この楽しさを知るとスキー場で滑る気になりません」

 ザックを背負って山を登り深雪を滑り降りる山スキー。
最近はバックカントリーとも呼ばれ人気が高いが、
雪深いニセコ連峰の山あいの五色温泉は、昔から山スキーヤーを育んできた「ふる里」だ。

 五色温泉旅館の前身の稲村温泉が開業したのは1930(昭和5)年。
37年にすぐ隣に札幌鉄道局の山の家(後に「国鉄ニセコ山の家」、
現在は「五色の里 ニセコ山の家」)もできた。
まだスキー場にリフトがなかった昭和30年代ごろまで温泉は
山スキーヤーで大いににぎわった。

 札幌市の藤田五郎さん(80)は50年以上も冬の五色温泉に通い続けたベテランだ。
昭和20年代は、国鉄狩太駅(現ニセコ駅)から2㍍もあるイタヤの単板スキーを持って歩いて
峠を越え温泉に行ったという。
山で親しくなった仲間と72年に「ニセコ山と雪の会」を作ってからは、
五色温泉旅館の自炊棟で正月を迎えるのが恒例になった。

 「本州の人を案内すると、みな感激する。温泉は素晴らしいし、
雪質の良さは世界一でしょう」と藤田さん。

 温泉までの道道が冬期も除雪されるようになったのは96年から。
それ以前は歩くしかなかった。 五色温泉旅館の佐藤雄治社長(60)は、
予約が入ると、ニセコモイワスキー場をリフトで上がり、そこから雪の山道を歩いて下りて、
客のために温泉を開けに行った。
「ゲレンデスキー全盛期のころも、大学のワンゲルなど山スキー客の定宿でした。
今も自炊棟は昔からのお客が多いね」と話す。
近年は日帰り客や外国人の姿も増えたが、
温泉の主人はこれからも山スキーヤーを見守っていく。

   こんなところ  
 通年営業のニセコ五色温泉旅館は、食事を頼める本館と
自炊のできる別館合わせて17部屋、男女各三つの風呂がある。
ニセコアンヌプリ(1308㍍)が一望できる展望風呂は、
冬は数㍍の雪の壁に囲まれ野趣満点。
源泉温度は70度以上と高く、泉質はマグネシウムなどを含む酸性・含硫黄泉。
近くにはアンヌプリ、イワオヌプリ登山口や神仙沼などがあり夏は散策を楽しめる。

 冬期は道道58号の五色温泉ゲート~倶知安町花園間は通行止めになり、
温泉へは蘭越町側からのみ行ける。
開通期間も荒天で封鎖されることがあるので、事前に天候確認をした方がよい。
朝日新聞(吉住 琢二記者)

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    「森山 俊」 北海道キャンピングガイド編集長

 
 初めてスキーを履いたのがいつだったかは思い出せないが、
少なくとも小学校の上がる前だったことは確かだ。
札幌市の宮ノ森に住んでいた小学校1年の頃は、周囲の畑や道路横の斜面に
小さなジャンプ台を作って、ひたすら飛んでいた。
笠谷や青地などのジャンプ選手はすべての少年の憧れだった。
飛ぶときもいちいち「ゼッケンなんば~ん、笠谷幸生く~ん、ニッカウヰスキー」と
自分でアナウンスしてから滑り出す。
しかし笠谷は上級生に取られてしまうので、
私はいつも他の選手で我慢しなければならなかった。

 小2で十勝に転校してからも父に連れられ、国設ぬかびらスキー場(当時)へよく出かけた。
高学年になると親抜きで友人と旧国鉄士幌線に乗り、せっせと通った。
出発は朝7時台で帰ってくるのは夕方6時過ぎ。
よく飽きずに滑っていたものだと思う。

 その後、高校に進んだ私は、ごく自然にスキー部に入り、冬の放課後は毎日、
学校から札幌藻岩山スキー場へ歩いて通ってナイター練習をしていた。
この頃はシーズン券を買って、ひと冬に50回以上はゲレンデに出ていたはず。

 そんな私がバックカントリー、いわゆる「山スキー」にハマったのは30歳を過ぎたころである。
道具一式をそろえ、最初は銭函から春香山へ登り、頂上直下にある「銀嶺荘」で1泊した。
スキーの滑走面に「シール」と呼ばれる滑り止めを付けて斜面を登り、
腰まで埋まるパウダーの中を、息が詰まりながら滑り降りる。
ゲレンデには慣れた私ではあるが、山スキーはすべてが新鮮だった。
しかし何より驚いたのは、札幌という大都会のすぐ近くに素晴らしい斜面や山小屋が
たくさんあり、愛好者も非常に多いということだった。

 たとえば春香山はその後も何度も登ったがどんなに朝早く出かけても、
例外なく先行者がいた。
小屋は小屋で、年配のグループで大にぎわいだ。
私は山スキーを通じて、北海道に根付くスキー文化の奥深さを知らされた気がした。

 山スキーのフィールドとして知られるのは、札幌周辺だけでも春香山、塩谷丸山、迷沢山、
奥手稲山、余市岳、無意根山、百松沢山など枚挙にいとまない。
ニセコは全山が対象だし、羊蹄山もフアンが多い。

 冬山に登る際は基本的に自己責任で、それなりの知識と経験が必要とされる。
悪天時に潔く引き返す勇気が必要だし、
そもそも悪天が予想されるときには山に入るべきではない。
最初は必ず経験者同伴で。
あるいはガイド付きの有料ツアーに参加するのが良いと思う。

 山スキーには、ゲレンデでは味わえない魅力と魔力が確かにある。
それを味わったとき、あなたはまたひとつ北海道のことが好きになるだろう。
朝日新聞記事

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