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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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                     「びふか温泉」北海道・美深町  

 湯上がりに地元のお年寄りが談笑するびひか温泉の休憩所。
水槽を2匹のチョウザメがゆうゆうと泳ぐ。
宿泊客は、刺身やキャビアのねぎ味噌あえ、ハム、せいろ蒸し
などの数量限定の「ちょうざめ堪能プラン」も味わえる。
 
 美深町を流れる天塩川には昭和初期ごろまでチョウザメが
産卵のため遡上していたとされる。
チョウザメの卵がキャビアになる。
観光の目玉にしようと、1983年に水産庁から約300匹を導入し、
第三セクターの美深振興公社が養殖に取り組んできた。
温泉がある「びふかアイランド」敷地内のチョウザメ館で約3500匹を飼育する。
びふか温泉支配人の古市明文さん(64)は「本州や札幌などからチョウザメ料理を
目当てに訪れる人が増えた」と手応えを口にする。

 だが飼育も料理も、軌道に乗るまでは苦労続きだった。
 97年のチョウザメ館当初から長く1人で担当してきた宮城大助さん(45)は、
元は隣接するキャンプ場の管理人だ。

 生き物を飼ったことがなかった。
チョウザメが餌を食べず、「地獄のような日々」。
約1㍍の体はみるみるやせ、「頭だけ大きく、胴はがりがり。
チョウザメとは思えない生き物」に。
離乳食をヒントにサケ・マス用のペレットを水で練って与えると、やっと食いついた。

 苦労して育てたのに、試食会では「くさい」「まずい」。
飼育する水を一部掛け流しにするなど、くさみを抜く工夫を重ねた。
チョウザメの産卵は数年に一度。
キャビアに適した時期の見極めも難しかった。
料理長の南雅二さん(50)も苦労した一人だ。
日本人の口に合うように、味噌やしょうゆで味付けするなど、調理法も研究した。
よくしまり脂が乗る身は、生でフグ、焼けばタラのよう。
「この味なら色々なことができるね」と、今では町民からの評判も上々だ。

 2年前、水産学部出身の鈴木渉太さん(28)が地域おこし協力隊員として加わった。
昨年には廃校のプールに井戸水を流す養殖場もでき、
現在の月10匹ほどから年間600匹へと出荷増を目指す。

 孵化用に採卵する人工交配種の第1世代は寿命があと数十年。
将来は天然種を親にする計画だ。
「未来の子どもたちに、チョウザメが天塩川を泳ぐ姿を見せたい気持ちもあります」と
古市さんは話す。

 こんなところ
 日帰り入浴は大人400円、子ども(4歳~小学生)200円。
温泉とチョウザメ館がある「びふかアイランド」にはキャンプ場やコテージも整備され、
夏は多くの旅行者でにぎわう。
美深町は、天塩川のカヌー遊びや、
旧国鉄・美幸線の線路をトロッコで進トロッコ王国も人気。
美深牛やシラカバの樹液も名物になっている。
「ちょうざめ堪能プラン」は要予約。
4月からは日帰り客向けに、レストランで数量限定の「チョウザメ天丼」などを出す。
朝日新聞(松本 理恵子 記者)

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高田孝さんの畑につくられたマイファームで

野菜の育ち具合をみる

   マイファーム代表取締役「西辻 一真 さん(32)」

 
旧約聖書の箴言には、みずからの畑をたがやす者はパンに飽き足りぬ、とある。
 しかし、春夏秋冬、脇目もふらずにたがやし、野菜を育てても、
兵庫県西宮市の郊外にある高田孝さん(65)の先祖伝来の畑は年ごとに、
飽き足りるにはほど遠い稼ぎにしかならなくなっていた。

 還暦が迫り、精根尽きて、たがやすのをあきらめかけた6年前、
後継ぎになろうとしてくれた息子にも病で先立たれてしまった。
とほうに暮れた高田さんは、テレビでマイファームを知ると、
すがりつくように電話をかけていた。
「うちの畑も体験農園にして残したい」

  2007年秋に京都市で起業したベンチャーのマイファームは、持てあまされ、
作付けされなくなった近郊の畑作放棄地を、
だれでも体験できる農園にしてよみがえらせている。

 汗と涙がしみこんだ荒れ地の再生を推し進めてめざそうとしているのは、
「自産自消ができる社会」だという。

 「『自産自消』は、自分でつくり、自分で食べることを意味する造語です。
だれもが当たりまえのように、自分が食べる野菜は、買わずに自分でつくる世に中にしたい」

 全国で約40万㌶に達する耕作放棄地が、
あらかた元通りにたがやされている未来図を夢想しているのである。

 耕作放棄地を整備したマイファームの体験農園はいま、
関西、関東、東海の86ヵ所(計約150㌶)にある。
15平方㍍の1区画あたり月々平均数千円の利用料を払えば、ベテランの指導員がいて
農具も備え付けられているので、初心者でも手ぶらで有機無農薬の野菜栽培に討ちこめる。
 高田さんの畑も、朽ちはてることなく120区画の体験農園に生まれ変わった。

 農家に代わって農園の集落や管理運営をうけおうビジネスモデルは、
京大農学部に在学中から練りあげていた。
 そのころ、知人の取りもちで心強い理解者となる人物に引き合わされた。
京都の花卉農家で、全国農協青年組織協議会の会長をつとめたこともある谷則男さん(52)だ。

 「農業にたずさわる人を増やして、耕作放棄地を減らす事業は、
本来、我々がやらないかんことや。不思議なもので、農家同士なら、
たとえ知らん仲でも親身に話を聞いてくれる。全国におる知りあいに声をかけて、
なんとかしたろうと思うたんです」

 10年には、農業専門学校の「マイファームアカデミー」
(現・アグリイノベーション大学校)を開校し、プロ農家の養成にも乗りだしている。
 卒業生約400人のうち1割が、すでに就農した。 収穫した作物は昨年、
オープンした直営八百屋やレストランであつかっているという。

 「お客さんも畑に行ってみたくなる。『自産自消』の循環の輪がつながりました」
 「耕作放棄地は僕の原風景。眺めると落ち着く」  

 ― なぜ、耕作放棄地にこだわるのですか。

 生まれた福井県ですが、父親は農家ではなく、サラリーマンでした。
でも、母親が家の裏庭に家庭菜園をつくっていたので、
それを幼いころから手伝っていました。

 小学生になると競争心が芽生えて、母親とは畝を分け、
自分専用の畑で野菜を育てるようになったのです。
毎日、水をやり、手をかけてやればやるほど、うまい野菜が採れた。
食卓ではほめられるので調子に乗って、どんどんのめりこんでしまいました。

 やがて、福井市内の県立高校に進と、通学路沿いのあちこちに点在している
荒れ放題の田んぼや畑が気にかかって仕方なくなったんです。
雑草を生い茂らしている地主の農家はなぜ、僕が夢中になっているように、
野菜づくりを楽しめないのかと思うとやりきれなくなりました。

 そんな素朴な疑問を先生にぶつけてみたら、やむなく放置された休耕地だと教わったので、
「だったら、僕が将来、使わせてもらいますね」と宣言したんです。
大学も農学部へ行くと、そのとき決意しました。

 だから、耕作放棄地は僕の原風景なんです。
心が揺れ動いていても、眺めていると落ち着きます。

  ― マイファームが理念としている「自産自消」は、「自給自足」とどう違うのですか。

 創業したとき、「耕作放棄地の再生」と「(野菜を)自分でつくって
自分食べられる人を増やす」の二本柱をこの会社のミッション(使命)と定めて、
ひいては日本の食糧自給率を1%ひき上げることを目標にしました。

 その後、起業家の集まりで、何をめざしているのか10文字以内で表せなければ、
その会社は世の中のインパクトをあたえられないという話を聞いて、
ふと思い浮かんだのが、「自産自消ができる社会」だったんです。

 自産自消は、自給自足よりも柔軟な考え方で、野菜づくりは、
大いなる自然の厳しさや美しさ、農家の人々の苦労、共同作業の楽しさや採れたての
野菜のえもいわれぬうまさなど、
心の次元の多様な気づきを得るための手がかりでもあるんです。

 ― 「体験農園」は、貸し農家ではないのですか。

 僕らのビジネスモデルの最初の壁は法律でした。
農地を他人に貸すと農地法に触れてしまう。
農地法は死に物狂いで勉強したので、たぶん、日本でも5本の指にはいるほど
くわしくなったと自負していますが、体験を提供するだけで土地の貸し借りはしない
農園利用方式が抜け道になるとわかった。
いわば、1年契約でイチゴ狩りをやってもらうようなことです。

― 創業時は多難だったようですね。

 京都市内で借りた町家の屋根裏部屋をオフィスにして会社を立ち上げてから、
谷さんの人脈で各方面に話を通し、京都で第1号農園をオープンさせるまでに
約半年かかりました。
1年目に契約したお客さんは10組。
売り上げは160万円でしたが、そのうち100万円は野菜をネット販売する
副業で稼いでいたんです。

 でも、2年目から、3千万円と、年々、業積は伸びていきました。
なぜかというと、お客さんがついた事実を知ると、それまでに声をかけていた
周辺の農家が次々、うちでもやってほしいと言い出したんです。
さらに、農家ではないのに農地を相続してしまって困り果てている地主さんに
ターゲットを絞って商談を持ちかけたのも当たった。
ついに「来た来た!」という勢いが感じられるようになったとき、
東日本大震災が起きたんです。

  ― マイファームにとっても、激震だったのですか。

 ちょうど、東北進出を計画していたので、津波がもたらした塩害とがれきで日本最大の
耕作放棄地帯になってしまうと思うと手をこまぬいていられず、
何もかもほっぽりだして現地に行ったんです。

 メディアでは当時、復旧には3年かかると伝えられていました。
そこで、微生物を利用する日本古来の農法をヒントに独自に開発した
土壌改良材をまいてみたら、劇的に塩分濃度が下げられたんです。

 ところが、僕が東北で塩害にかかりきりになっていたとき、
会社は存亡に危機を迎えていました。

 まず、関東の農園の契約者が、激減していた。
放射能の風評被害で、一気に解約の嵐が吹き荒れたんです。
正直、このままでは潰れると、うろたえました。
そんな危急のときに東北へ行きっぱなしとは、一体、何を考えているんだという議論が
社内で噴き出したので、翌年代表取締役から降りたんです。
業績悪化を食い止めるため、1年後に復帰しましたが、耕作放棄地を再生する
第一人者を任じる者に科せられた試練だったと思います。

 ― 目標に掲げている食料自給率のひき上げは実現できましたか。

 大震災の前は、2014年までに6万人が自産自消するようになれば、
1%アップすると唱えていましたが、道のりは遠かったですね。
でも、20年代を新たな区切りにして再挑戦します。

 プロフィル

☆ 1982年、東尋坊と越前ガニが名物も福井県坂井市三国町に生まれる。
  父親は非鉄金属メーカーにつとめていた。
  両親と4歳年下の妹の4人家族。
 小学校に入るまで暮らした社宅には約50平方㍍の家庭菜園があり、
 物心がつくと母親の野菜づくりを喜々として手伝った。

☆ 京大農学部に入り、大豆の品種改良を研究。
  そのころ空想したのは、鳥山明の漫画「ドラゴンボール」に出てくる
 仙豆のようなスーパー作物の開発。
  仙豆は1粒食べれば10日は飢えをしのげて傷も治る豆だ。

☆ 2006年、広告会社に就職。
  翌年に退職後、ネット通販会社をおこし、経営の基礎を身につけてから、
 同年9月、マイファームを創業。
 八百屋「マイファーマー」は京都、東京、名古屋にあり、ラストランは
 故郷の坂井市にある直営農場で営業している。

☆ 座右の銘はアフリカのことわざで、「早く行きたいなら、ひとりで行きなさい。
 遠くへ行きたいなら、みんなで行きなさい」。
 専業農家の立場から助言してきた谷則男さんは「初対面のとき、
 こんなリーダーがおったら、おもろいやろうなと思った」という。

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      「タカコ・ナカムラ さん(57)」  

 黄金色に透き通る煮汁をすくう。
だしの正体はタマネギの皮やトマトのへた。
野菜の切り端にも生命力と栄養が宿る。
そんな「ホールフード」の考えを唱え続けて25年。
普及を目指す団体を主宰し、東京と福岡で料理教室を開く。
素材丸ごとのレシピを通じて世に問う。
「食と暮らし、環境を丸ごと考えませんか ?」

 山口の割烹店で生まれ育った。
全米を旅した20代、健康と自然を調和させる食生活に触れた。
「日本にも波が来る」と感じた。

 東京で自然食の菓子工房をつくり、米国で見つけた看板から「ホールドフード」と掲げた。
一時は年1億円を売り上げたが、やがて経営は傾いた。
カフェも手がけながら、転々と拠点を移す日々が続いた。
7年前、「食は命をつくる」と共鳴してくれた女性がいた。
がんと闘いながら併走中、33歳で亡くなった。
「誰かの役に立つ意味を教えられた。損得よりも、縁や絆を大事に生きよう」と思った。

 根も皮も食べるには無農薬や有機栽培が欠かせない。
伝統食や発酵食にも光を当て、手間ひまをかける生産者が潤う循環を求める。
近頃はイタリア料理店を営む夫と仕入れ先が重なるようになった。

 「100年後に私はいない」からこそ、50年後に残したいものを紹介する。
おいしいの一言と笑顔が何よりの喜びだ。

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   加工でおいしく「無駄なく」北海道・豊頃町

 記憶に新しいところでは、昨年12月のノーベル賞を祝う晩餐会で、
主菜はローストしたシカ肉だった。

 日本では数が増えて山や畑に深刻な被害を与える野生動物は、
高級料理の食材という顔を持つ。
北海道の資源としてエゾシカをいかす道を切り開くのが、33歳の料理人、
佐々木章太さんが率いる食の職人集団「エレゾ社」だ。

 社員がハンターで肉を全国のシェフに卸し、
自分たちでサラミなどの加工品を作るだけでなく、札幌ではレストランを営む。
山と食卓をつなぐ仕事の拠点は、十勝の東南・豊頃町にある。

 昨年11月下旬、夜明けからの狩猟に同行した。
生産狩猟部門部長の尾崎松夫さん(63)は元大工で、ハンター歴38年。
「メスのシカにとって雪の前の山は保護色。なかなか撃たせてくれません」。
視線の先は谷の反対斜面だ。
目をコマ送り撮影のように使ってシカの姿を探すという。

 「ハンターは2種類」と尾崎さん。
スポーツとして狩りをするゲームハンターに対し、
質の高い肉を求める自分たちはミートハンター。
「撃った瞬間に動物が食材になる。月齢や餌の条件だけでなく、扱う人間次第で、
肉の味も商品価値も変わる」

 シカの首から上を1発で狙うのは、胴体を打つと血や熱が全身に回るからだ。
狩猟に対して理解のある消費者ばかりだはない。
「魚で言えば、一本釣りや生け締めと同じ」と伝えるのだという。

 1頭のメスを見つけた。
距離計で141㍍。
射止めるや、尾崎さんはロープを手に斜面を駆け下りる。
2時間以内に施設に持ち帰り、内臓を取り出す取り決まりがある。
頭数を稼ぐ害獣駆除とは違う。

 エレゾ社の始まりは10年前。
社長の佐々木さんが厨房に立っていた帯広の実家のレストランにある日、
常連客が自分で撃った2歳メスのシカを持ってきた。
体はまだ温かみがあった。
東京の老舗ビストロで修業時代に輸入のジビエ類に触れていたが、
丸ごとの命と向き合う感覚は初めて。
客に手ほどきを受けながら夢中でさばき、料理した。
バラ色に輝く肉は、上品で豊かな初めての味だった。

 そのときの肉を修業先に届けると高く評価され、
レストランにエゾシカ肉を卸すようになった。
取引先は順調に増えたが、1頭の肉の中でも注文はロースなどに集中し、
筋の多いもも肉は余った。

 「命をいただくからには、全て無駄にしない責任がある」。
1頭あたりの値を上げ、技術を持つ契約ハンターの収入にもつなげたかった。
フランスでシャルキュトリーと呼ぶ肉の加工品分野を立ち上げ、使い切ることを考えた。
27歳で銀行に5千万円借りて建てたのが、ラボトリーと名付けた現在の施設だ。
スタッフの経歴は東京の高級フレンチや、イタリアの精肉店などユニーク。
札幌に開いたレストランで料理する佐々木さんとは、日本の食肉文化のために、
かっこいい仕事をしたいという思いでつながる。

 取引先は400軒に広がり、食材の原点を知りたいシェフが全国から訪ねてくる。
 人気商品になったエゾシカのサラミは、スパイスを控え肉の力で勝負する。
表面を覆う大事な白カビは、豊頃の空気に育てられる。
風土の味が、食卓につながっていく。

株式会社 ELEZO(エレゾ)
北海道中川郡豊頃町大津125 HP:http;//clezo.com/
エゾレ社のレストラン 「ビストロ&シャルキュトリー カマラードサッポロ」
札幌市中央区北3条西2丁目の8 さっけんビル 1F 電話 011・215・1180
社団法人 エゾシカ協会 HP:htto://www.yezodeer.com/

 道のマニュアルに基づいて設けられた処理法と衛生基準をクリアした、
シカ肉とその加工品に認証を与える。

※ エゾシカ  
 北海道内のエゾシカの推定生息数は2013年度で約56万頭。
道の計画では、16年度を目標に38万頭まで減らし、環境影響を検証する。
13年度の捕獲実績は約13万頭。
このうち食用に回ったのは3分の1程度とみられ、飲食店や小売りからの需要拡大に対し、
供給態勢が追いついていないとの声もある。
質のいい肉として流通させるにはスピードが求められるが、
食肉処理施設のある地域が限られている。
ハンターのマンパワーも駆除目的の許可捕獲に流れている。

 道は「北海道エゾシカ対策推進条例」で、
捕獲だけでなく固有の資源として有効活用を揚げる。
エゾシカ対策課の大野哲弘さんは
「高級ジビエと、また地域おこしの食材としての可能性を広げたい」。
現状ではほぼ手つかずの「シカの角」にも、漢方薬の原料となることから、
中国から事業参入の問い合わせがあるという。 朝日新聞 (経済部 長沢 美津子記者)

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     「札幌東商業高」の3人

 数が急増し、各地で農作物に被害を引き起こしているエゾシカ。
その肉を使ったつくだ煮を、札幌東商業校(札幌市厚別区)の3年生3人が考案、
商品化された。
その名も「鹿つくポン‼ 」(1個500円)。
2月22、23日に札幌市内のフェアで販売し、用意した160個を完売した。

 3人は小鴨のぞみさん、久保田有希さん、細川郁美さん。
同校では3年生の授業に、生徒がテーマを考えて1年かけて取り組む「課題研究」がある。
小鴨さんは昨春、エゾシカ猟をしている父親の知人からもらったシカ肉を食べているうちに
「鹿肉のおいしさを知ってほしい」と感じ、仲の良い2人と一緒に研究することにした。

 3人は「つくだ煮なら手軽に食べられるのではないか」と、
家族に聞いたりインターネットで調べたりして調理法を考え、試作を重ねた。
ときには「圧力鍋のふたが外れて、鍋の中の肉が部屋中に飛び散った」(細川さん)などの
ハプニングも。
鹿肉にゴボウやシイタケ、タマネギにショウガを加え、しょうゆと酒、砂糖で煮詰める
レシピが秋に完成した。
名称や包装デザインも3人で考えた。

 商品化に協力してくれる企業も自分たちで探した。
「札幌アグリフーズ」(同市手稲区)と話がまとまり、2月上旬に製品になった。
レシピもほぼオリジナルどおりという。

 道立高校は1日が卒業式。
3人も4月からは就職と短大、専門学校とそれぞれの道に進。
指導の当たった秋本直人教諭は「札幌東商ブランドの製品ができた。
これからは(同校)マーケティング部が販路を考え、受け継いでいく」と意気込んでいる。

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