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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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 撮影のロケの準備で番屋を見て回り、
 コンブ干しをしていた一橋さん(左)と
 談笑する撮影スタッフ


 
 吉永小百合主演 「北のカナリアたち」
 

 日本を代表する女優吉永小百合さんが主演する「北のカナリヤたち」の制作が決まり、
主なロケ地となる最北の離島・利尻、礼文に歓迎ムードが広がっている。

 12月の撮影開始を前にセットの建設が始まり、支援準備が進む。
ロケ隊を受け入れるため、ホテルの臨時営業も検討されている。
離島の美しい自然や生活が映像化されることで、今後の観光の起爆剤として期待も膨らむ。

 「おばあちゃん、エキストラで出てくれませんか」「そんな、恥ずかしいよ」

 11月7日午前、宗谷管内利尻富士町大磯。
海岸近くの番屋で利尻コンブを干していた一橋光子さん(82)に、
東京からロケの下見に訪れた撮影スタッフが声をかけた。
「働くことがね、好きなんだ」と言い、手際よく作業をしていく一橋にスタッフが見入った。

 一行6人を案内したのは、同町総務課長補佐の工藤伸一さん(51)と
利尻町産業建設課長の佐々木日出雄さん(57)。
「映画のイメージに近い場所を探すには、地元の人が紹介するのが一番」と海岸や番屋、
飲食店や医療施設などを案内した。

 撮影は札幌や稚内でも行われるが、メーンは利尻と礼文。
今冬と来年6月に100人~200人規模で俳優やスタッフが訪れる。
両島で本格的な映画のロケは初めてになる。

 セットの小学校の校舎は9月下旬、利尻島を望む礼文町糞部(ふんべ)の高台で着工し、
11月末にも完成する。
近くの知床地区の金谷清孝さん(76)は「地域のみんなに撮影時の通行止めを頼んだら、
コンブ採ったり干したり忙しい夏でも喜んで協力するって言ってくれた」と笑顔で話す。

 9月1日の制作発表後、礼文町は補助予算で学校建設費に2500万円、
地元のロケ支援協議会の補助金に700万円を計上。
ロケ隊の宿泊支援や炊き出しなどを行う協議会は、漁協や商工会など13団体で発足した。

 「僕が幼いころは島にも映画館があり、よく行った。今回は天下の吉永小百合さんが来る
右肩下がりの観光の起死回生策にしたい」と、ロケ支援協議会の小野徹町長。

 2島合計の観光客入り込み数は2002年度の58万人をピークに、
10年度は32万人と半減しており、学校のセットは撮影終了後は観光施設とする予定。

 利尻町と利尻富士町でも支援組織づくりの準備をしている。
地元の当面の課題は宿泊先の確保。
冬場は観光のオフシーズンで、受け入れ人数は夏の4分の1。
例年は休業する施設に撮影期間中だけ営業してもらう交渉も始まっている。

 6日夜、利尻町のスナックで映画が話題になった。
「どこで撮るんだべか」という声に交じり漁師の加藤明さん(61)がビール片手に、
「吉永小百合さんが来るなんて最高。俺の憧れの的だから」と顔をほころばせた。

 北のカナリアたち

 吉永小百合さんが演じる離島の小学校教師はある事故をきっかけに島を去ったが、
20年後、6人の教え子と再会していく中で、
事故の真実やそれぞれの思いが明らかになっていく・・・
というサスペンスタッチのヒューマンドラマ。

 監督は「どついたるねん」「顔」で知られる阪本順治さん、
撮影は「剣岳 点の記」では監督も務めた木村大作さんが担当する。
子役は歌の上手な子を公募で選ぶ。

 映画は来秋以降、全国公開される。 北海道新聞 

「吉永小百合さん、利尻島に到着」2010年12月

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 映画の撮影のため利尻富士町を訪れ、
  歓迎の花束を受け取る女優の吉永小百合さん。

 
 利尻・礼文島を主な舞台とする新作映画「北のカナリアたち」の
撮影隊が14日、利尻島に入った。
両島での本格的な映画の撮影は初めて。

 歓迎の横断幕が掲げられた利尻富士町のフェリーターミナルに、
主役の吉永小百合さんが薄紫色のダウンジャケット姿で降り立つと、
吉田勤・利尻富士、田島順逸・利尻町長が花束を手渡して歓迎した。

 これに先立ち、吉永さんは「厳しい寒さですが体調は万全なので、
島での撮影を楽しみ。利尻・礼文での映画撮影は初めてとのこと。
大自然に中で、すてきな映画作りをしていきます」とコメントした。


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  エンブ初等学校の子供たちに囲まれ、
 歌と踊りを一緒に楽しむ塩尻美智子さんと夫の安夫さん。



「塩尻 美智子さん」 北海道・函館市出身


  診療所や学校を開設。
ケニアの貧しい農村部で21年間、エイズ孤児の支援などを続ける
北海道函館市出身の女性がいる。
NPO法人「アフリカ児童教育基金の会」(奈良県、ACEF)の塩尻美智子さん(59)。

 家族7人で移住し、感染症マラリアで長女を亡くす悲惨な悲劇も遭った。
この苦難を夫の安夫さん(62)や子供たちと乗り越え、
ケニアの大地にどっしり支援の根を伸ばした。

 首都ナイロビの北東150㌔、人口約4万人の町エンブ。
ACEFが運営する子供診療所は、深夜もこうこうと明かりがともる。
医師は現地で雇い、診療は24時間態勢。

 美智子さんは「ケニアの子供たちに、9歳で命を落とした
長女直美の分まで生きてほしい。
そんな願いを込めて開設した」と語る。

 函館大妻校卒業後、函館の百貨店勤務を経て関西に移り、知り合った安夫さんと結婚。
飢餓に苦しむアフリカ救済の基金活動に携わり、家族で8年間街頭に立った。

 「アフリカで人の役に立ちたい」。
そんな思いを共有した夫妻は1990年4月、5人の子供を連れケニアへ。
ACEFケニア事務所長の夫と、学校への本や教科書の寄付、
生活・農業用水路整備など地域に根ざした支援を広げていった。
 
 渡航から半年、悲劇が襲う。
長女直美さんが高熱を出し3日後、帰らぬ人に。
帰国するか迷う安夫さんに、美智子さんは「直美を置いて帰れない」と
現地残留の決意を語った。

 長女の死から3年後、悲願の子供診療所を開設。
両親がエイズに感染し生まれながらエイズに苦しむ乳幼児やマラリアの
子供らの治療を始めた。

 96年には日本政府の援助を活用し、寄宿舎を備えた初等学校(8年生)を開校。
現在約300人が学び、寮生140人の約3割はエイズなどで親を亡くした孤児。
「ここで勉強できるのは神様がくれたプレゼント」と喜ぶ孤児もいたという。

 2007年開設の助産所では毎年100人もの赤ちゃんが誕生。
美智子さんの母校・函館大妻校の生徒たちは09年、手作りの産着100着を贈ってくれた。

 塩尻家の長男一道さん(32)は、在ケニア日本大使館に勤め国際貢献に情熱を燃やす。
次男大輔さん(30)は妹の死を糧にナイロビ大医学部を卒業し、医師として歩み始めた。
「北海道の開拓者精神が、私にも宿っている。看護学校も作りたい」。

 美智子さんの夢は広がる。 北海道新聞 板東和之

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  震災後に見つかった
 愛犬たちとくつろぐ伊藤茜さん。


 「今はただ優しくありたい」 

 3・11の東日本大震災から半年が過ぎました。
テレビや新聞で当時のようすを振り返り、発生時の悲惨な光景を映し出しています。

 私の知人も宮城県名取市に住み、昨年秋に新居を建て楽しく過ごしていた最中の震災でした。
幸い、被害は少なかったが、水道、ガス、電気などの復旧に時間がかかり
大変な生活が続いたようです。

 また、毎日被災した現場を目の当たりにしての生活で、
なんとなく気力がわかないとメールが届き、心が痛みました。
被災された方、被災を免れたが回りの風景が一変した中での生活は、
当事者でないと分からないのかも知れません。

がれきに囲まれ、涙を流す女性。
3月14付朝日新聞の1面に掲載され、世界中の新聞や雑誌に転載された。

 あの女性は今――。

 「守れなくてごめんって、あのときは、心の中でずっと謝ってた」。
半年前を振り返り、伊藤茜さん(29)は言う。

 津波が引いて初めて帰った日。
宮城県名取市閖上の家はなく、愛犬の姿もなかった。

 裸足になって座り込んだ。
どれだけ経ったのか分からない。
いつもの散歩道。
おじいちゃんやおばあちゃんの立ち話。
2日前にはそこにあった風景が、何もかも消えていた。
あふれる涙を拭うことさえ忘れて、泣き続けた。

 高校時代の同級生と一緒に、県内の飲食店で働いている。
けれど震災後、動物のための仕事をしたい、と考えるようになった。
「今までは友達や恋人、家族とか、自分の回りさえ幸せならいいと思っていた。でも」

 避難所で声をかけ合った人、心配して連絡をくれた人、家財道具を分けてくれた人。
「支えられて暮らしている。自分も役に立ちたい、と思うようになた」。

 10匹ほどの愛犬のうち助かったのは2匹。
今は同県七ヶ浜町で家族と暮らす。
あの場所に戻るのは、まだつらい。
今はただ、人に優しくありたい。
この穏やかな日常がずっと続きますように。
そう願い、毎日を過ごしている。

 

  3月14日付朝日新聞1面に掲載された写真。

「世界中で配信、各紙が使用」 

 伊藤さんの写真は、世界中へ配信され、震災のすさまじさを象徴する1枚となった。
米国ニューヨーク・タイムズ紙は3月14日付の1面トップで掲載し、
ワシントン・ポスト紙も使用した。
ほかに、フランスのルモンド紙や、インド、香港の新聞なども掲載した。

 


犬の美容師を目指し、学校に通い始めた
伊藤茜さん2012年2月13日=仙台市太田区



「夢へ、歩き始める」2012年3月

 東日本大震災で、津波に襲われ壊滅的な被害をうけた宮城県名取市閖上で、
うずくまり涙を流していた伊藤茜さん(29)。
震災から1年を前に、子どもの頃からの夢だったトリマー(犬の美容師)への道を歩み始めた。

 津波で自宅が流された。
家族同然だった犬たち約10匹は、2匹を残して行方不明のまま。
今でも時々、犬たちが帰って来る夢を見るという。

 「助けてあげれなくて、悔しい」。
津波によって一瞬にして失われた人間や動物の命。
どんな小さな命でも大切にしていきという思いが強くなった。

 被災した後、知人から服やテレビなどを譲ってもらった。
喪失の悲しみは癒えないが、少しずつ前向きになれるようになった。
1月末からは、仙台市内の専門学校に通っている。
将来、犬の美容院を開業するという夢を持っている。

 「思いやりを持って、困っている人たちがいたら、いっぱい助けてあげたい」。 朝日新聞・恒成利幸

「朝日新聞カメラマン オランダで表彰」世界報道写真

 オランダの世界報道写真財算は4月21日、第55回世界報道写真コンテストの
授賞式をアムステルダムで行った。

 朝日新聞2011年3月14日付朝刊1面で掲載された「被災地で涙を流す女性」が
東日本大震災を扱った報道の中で、一般ニュース部門・単写真で3位に入賞。
撮影した朝日新聞東京本社写真部の恒成利幸カメラマン(44)に財算から
表彰状と記念の盾が贈られた。

 審査は124の国と地域、5247人の報道写真家が2011年に撮影した
10万1254点の写真の中から選考され、各部門でのべ57人が受賞した。
大震災の写真で入賞した毎日新聞社の手塚耕一郎氏、AFP通信社サンパウロ支局の
干場泰由氏らも表彰された。

 入賞作品を紹介する「世界報道写真展2012」(朝日新聞社など主催)は6月から
東京都写真美術館を始め、大阪など各地を巡回する。

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 「菊池 将大 さん(17)」

 被爆地・長崎の市民団体が、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴えるために
1998年から毎年国連に送り出してきた「高校生平和大使」として8月、
スイスの国連欧州本部を訪れる。

 今年の平和大使は全国から12人。
東日本大震災の被災地からは高校の後輩佐々木沙耶さん(16)も選ばれ、
2人で被災地の現状と国際的な支援への感謝を伝える。

 ある日。授業を終えて、陸前高田市内の自宅にいた。
「津波3㍍」という防災無線が聞こえ、双眼鏡をつかんで自転車に飛び乗り、高台へ。
目の前には慣れ親しんだ松原がなぎ倒される光景が広がり、
砂煙が町をのみこんでいった。途方に暮れるだけだった。

 地震後に一度自宅に戻ってきたという建設会社員の父(当時49)と
農協勤めの母(同41)は引き返した職場から帰ってこなかった。

 今は被災を免れた自宅で祖母(75)と暮らす。
父の机の引き出しからは、高田高校で生徒会長になったことが書かれた広報や、
中学時代に陸上や野球で活躍したときの新聞記事などが出てきた。

 犠牲が多かった原因として、災害に対する意識の低さがあったと思う。
世界中に防災意識を広げたい。
世界へのスピーチは、天国の両親に向けてのものでもある。

 「自分は頑張って生きている、という姿を見てもらいたい」。


  「日本の高校生署名提出」  2011年8月 

 被爆地・日本から核廃絶や世界平和を訴える「高校生平和大使」の12人が18日、
ジュネーブの軍縮会議事務局に約8万人分の署名を提出した。
今年は東日本大震災で被爆した岩手県陸前高田市からも2人が参加し、
復興への決意と支援の謝意も伝えた。
全国の街頭で集めた署名をサレバ軍縮会議事務局次長に手渡した。

 津波で両親を亡くした菊池将大さん(17)=高田高3年=は
「被爆地も焼け野原から復興した。被災地も必ず復興します」。

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  人に近づいて、手からエサをもらう
 スズメ。


 「なぜか近寄りエサねだる」

 人の手からエサを食べたり、近寄ってきてエサを催促したり・・・。
人になれているスズメの群れが全国で見つかっている。
逃げ足が速いはずのスズメの「変心」の理由はよくわかっておらず、
専門家も首をひねっている。

 東京大の樋口広芳教授(生態学)によると、3~4年ほど前はまだ珍しい現象だったが、
最近ではネットにも数多く動画が投降されている。

 ネット上の記載や樋口教授の調査などによると、
北海道から九州まで8都道府県で同様の現象が見られている。
東京都内でもお台場や上野公園で人慣れしたスズメが確認されている。

 多くは公園や道の駅など、人が数多く集まる場所。
弁当のご飯や菓子パンなどを持っていると、手に何羽も群がる様子が映されている。
中にはコンビニのポリ袋を開ける音に、反応して近寄ってくるスズメの姿もある。

 日本のスズメは欧州のイエズズメなどと違い、人が近づくとすぐ逃げるのが普通だが、
若い個体は警戒心が弱い。
エサをやる人が増えたことなどが背景にあるのかもしれないが、
「経緯や理由はよくわからない」(樋口教授)という。

 エサをやっているのはお年寄りの姿が目立つ。
餌付けは野鳥の習性に影響を与える。
樋口教授は「あまり好ましくないが、お年寄りにとっては、
一種のいやしにもなっているようだ」と話す。

 
 「スズメのチビと同居して11年」

 

 新聞の上で遊ぶ、スズメのチビ。 

 11年前の6月、近所の小学生2人がスズメの赤ちゃんが巣から落ちて
動けなくなっていると叫んできた。
見るとまだ羽も生えきらないスズメがうずくまっていた。
どうやら別のスズメに巣を襲われたようだ。
早速、エサづくりが始まった。

 アワ玉に熱湯をかけ、電子レンジで沸騰させ数分おく。
冷めたアワ玉に、細かく刻んだかつお節とカキ貝の粉末を混ぜてできあがり。
あとは、小さなスプーン(ヨーグルトのスプーンを5㍉ぐらいに細く切る)で1日何度も与えた。

 あまえて、自らエサを食べるまでに1月くらいかかった。
毎日、家族が出かける様子を見て後を追う。
帰ると、羽を振りながら泣いて手に乗り、うずくまる。

 その後、3ヵ月ぐらい経ちそろそろ野生に帰そうと窓を開け、
外に出そうとしても出ていかない。

 あれから11年スズメのチビと一緒に暮らしている。

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