山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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ヒグマの親子 =オホーツク管内斜里町=
「市街地で相次ぐ出没」
北海道の都・札幌市の市街地でヒグマの出没が相次いでいる。
今月は8月下旬から9月上旬にかけ、南区の住宅街に相次いで現れ、住民を驚かせた。
全道でも北海道警察が認知したヒグマの目撃件数が1~8月、715件に達し、
過去5年間で最多となった。
本来は人間を恐れるはずのヒグマに何が起こり、現場の対策はどうなっているか。
札幌市によると、市内でのクマの目撃情報は本年度の入り、今月14日までに102件、
足跡やふんなどの痕跡情報は37件、駆除数は2頭。過去10年間で最多となった。
2011年度1年間の目撃情報は124件、痕跡情報133件、駆除数7頭には及ばないが、
夏までの数字としては例年より多いという。
中でも目立つのが、市街地への出没。
昨年秋は中央区の円山公園や近隣の住宅地に相次いで現れ、今年は8月下旬から、
南区の地下鉄真駒内駅周辺や川沿地区で出没が続いた。
「猛暑で餌不足」
今年は全道的に猛暑で夏に食べるフキや草が早く枯れ、
餌不足となったことなどが出没数増加の要因に挙がられるが、
北大大学院獣医学研究科の坪田敏男教授は札幌での出没について「複数の要因が考えられ、
その一つにクマの生息域拡大がある」と分析する。
興味深いデータがある。
環境省が03年の野生動物の生息域を調べた「哺乳類分布調査報告書」によると、
道内のクマの生息域は、前回調査の1978年に比べ13%拡大。
前回調査で山岳地帯が中心だった主な生息域が、都市化や農地化の進んだ平野部にも
見られるようになったという。
影響があるとみられる。
道などによると、春グマ駆除は冬眠中か冬眠明けで、
クマが見つけやすい残雪期にクマの生息域に入り、
無制限に捕獲する仕組みで、道が66年に導入。
降雪量が多く、比較的なだらかな地形の日本海側で捕獲数が一時的に急増した。
冬眠明け前のヒグマを捕獲する「穴狩り」も盛んに行われ、
雌と子グマが捕獲される割合も高まった。
結果的に春グマ駆除が廃止されるまでに、クマの生息数は著しく減少したと考えられている。
クマに詳しい道立総合研究機構環境・地質研究本部の間野勉研究科長は
「春グマ駆除の実施中、札幌ではほかの全道各地に比べ、極端に多く捕獲が行われた。
春グマ駆除から20年、クマの個体数が徐々に回復している可能性は十分ある」と説明。
市が11年度にクマ対策を委託したNOP法人は、市内の生息数を少なくとも約50頭としている。
「若いクマも多く」
札幌の街も変化してきた。
60年以降、市内の世帯数はすべての区で増加傾向を続け、昨年10月時点では89万7968世帯。
これは春グマ駆除が廃止された90年の同時期に比べ39%も多い。
住宅や商業地などに開発できる「市街化区域」が全市の面積に占める割合も70年は
20%だったが現在は22%に拡大している。
北海道猟友会札幌支部の田子一雄支部長(70)は「クマがよく出る南区の藻岩山の
裾野の中ノ沢、南の沢には30年前、今のように住宅はなかった。
宅地が山側に広がる一方、春グマ駆除の廃止により、クマがハンターと出合い人間を怖がる
体験をしなくなったことが現在の状況につながった」とみる。
春グマ駆除による個体数の激減の一方で進んだ市街地の拡大、
そして春グマ駆除廃止による個体数の回復―。
専門家たちの推測からはそんな構図が浮かび上がる。
また、南区に相次いで出没したクマが若いクマとみられるように、
親元を離れてから年月の浅いクマの出没が市外地では多いのも特徴。
北大の坪田教授は「若い雄は移動距離が長く、まだ生活圏が定まっていないため、うろうろしやすい。生息域の拡大と相まって、市街地に出没してしまった可能性もある」と話している。
北海道新聞記事
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高架木道のそばを歩く 2頭のヒグマ
「居座るヒグマ」知床困惑
クマの出没が各地で相次ぐ中、
世界自然遺産・知床でも今夏は例年にないほどヒグマが姿を現し、
関係者を驚かせている。
観光名所の知床五湖は地上遊歩道の閉鎖が相次ぎ、
8月は終日開放できた日が1日もなかった。
9月13日にもヒグマが出没、地上遊歩道は閉鎖となり、知床財団は警戒を強めている。
知床五湖は5月10日~7月31日がヒグマ活動期で、
ツアーガイド(有料)の同行が義務づけられている。
この間、今年は約7550人がツアーに参加したが、ヒグマとの遭遇回数は57回で、
39回のツアーが中止となった。前年度は遭遇が27回、中止が24回だった。
夏になるとヒグマは例年標高の高い山奥に移動することから、
地上遊歩道は8月1日からはガイドの必要がない植生保護期(10月20日まで)になる。
ところが今夏はヒグマが知床五湖周辺から離れず、8月の地上遊歩道の終日閉鎖は15日間、
一時開放が16日間で、終日開放できた日はなかった。
昨年8月は、緊急閉鎖が1回あっただけで、終日閉鎖は1日もなかった。
今年9月は8日までは終日閉鎖か一時開放といった状況だったが、
9日から終日開放できる日が続き、例年に戻るかと思われた。
しかし13日午前10時40分ごろヒグマが現れたことから、地上遊歩道は閉鎖となった。
知床財団によると、知床五湖周辺では8月に入っても母グマなど4、5頭が居続けた。
高架木道からの目撃も7月ごろからはほぼ毎日のようにあり、
観光客への慣れもみられるようになった。
ヒグマの目撃件数は知床五湖周辺に限らず激増している。
斜里町での目撃件数は過去最多だった2005年度の857件を大幅に上回り、8月末で1315件。
同財団の秋葉圭太さんは「ヒグマの個体数が急激に増加したとは考えにくい。
気候の影響もあるのかもしれないが、原因はわからない」と話している。
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「ちいさい秋」
北海道の大雪山系・黒岳(標高1984㍍)の
山頂付近で紅葉が始まり、北海道の高山帯に生息する
※エゾナキウサギが冬支度をはじめている。
赤く色づいたウラシマツツジが広がる岩場では、「ピチィーッ」と鋭い鳴き声が響く。
草や枝をくわえ、忙しそうに動き回っている。
今年は残暑で紅葉は1週間ほど遅れている。
※ エゾナキウサギ
体重60~150㌘、体長10~20㌢の小型哺乳類。
夏毛は赤褐色で冬毛は灰褐色から黒褐色になり、年2回毛変わりする。
耳の長さは2㌢程度。
2~5㍉㍍の尾があるが体毛に隠れて、ほとんど見えない。
足は短く、前足の指は5本、後ろ足の指は4本。
北海道の北見山地や大雪山系、夕張山地、日高山脈などの標高800㍍以上の高山帯で、
ガレ場の岩のすき間に生息する。
食性は植物食で、葉や茎、花、実などを食べる。
冬眠はしないが、夏から秋にかけて葉などを岩にすき間にため込み、冬の保存食を作る。
繁殖期は春~夏の間の年1回で、1回につき1~5頭の子どもを産む。
長野・岐阜県境の北アルプス大黒岳の
ハイマツの間を歩くライチョウの親子
ライチョウ絶滅させぬ「減った原因解明へ」環境省
国の特別天然記念物のライチョウを絶滅から守るため、
環境省は、種の保存法に基づく保護増殖事業計画をまとめた。
山岳ごとの生息状況を詳しく調べ、数が減っている原因を
解明するほか、飼育や繁殖技術の確立をめざす。
来年度から始める。
環境省によると、ライチョウは北アルプスや南アルプスの
標高2400㍍以上の高山地帯に生息。
1980年代に約3千羽いたとみられるが、最近の調査では2千羽以下に減っており、
保護の取り組みを強化することにした。
減少の原因ははっきりしないが、キツネやカラスなど天敵の増加や、
登山者による生息環境の汚染、ニホンジカが高地に進出し、
植生が変わったことなどが影響したとみられる。
保護増殖事業計画は、種の保存法で定められた希少な野生動植物が対象で、
ライチョウで49種目。
環境省はすでに、この計画に基づき、トキやヤンバルクイナの人工繁殖に取り組んでいる。
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フランスで開催された「ピレネー大耐久レース」で、
ピレネー山脈の標高2900㍍近い高地を走る
山本健一さん。
「160㌔走破」山梨県の高校教師
山梨県の韮崎工業高校教師山本健一さん(32)が、
フランスで開かれた山道を走る競技「トレイルランニング」の
国際大会「ビレネー大耐久レース」で初優勝した。
ビレネー山脈の登山道110マイル(約160㌔)で累計標高(登る高さの合計)が
1万㍍となるルート。
トレイルランニングの情報サイト「トレラン王国」編集部によると、
海外開催の「超長距離レース」で日本人が優勝したのは初めて。
山本さんは「優勝できて感動している」と話している。
レースは8月24、25両日に開催された。
日中は肌を刺すような日差し、夜は心まで冷え込む厳しい寒暖差の中、
不眠不休の24時間37分44秒で駆け抜けた。
参加ランナー約760人の半数近くがリタイアした過酷なレース。
だが山本さんは笑顔を絶やさずに360度の雄大なパノラマを楽しみ、
夜は足元を照らすヘッドランプを消し、満天の星空を見上げて走った。
山本さんは登山部顧問として南アルプスでトレーニングを積んだ。
昨年8月には東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県三陸町でボランティア活動を経験。
「レース中にはつらいこともあるが頑張ればゴールが見える。
こういう人間を見てもらい、ほんの少しでも力になれたらうれしい」と話した。 北海道新聞記事
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東日本大震災と原発事故に見舞われた
福島県南相馬市出身の女性が、歌手としてCDデビューを果たした。
避難生活や友人の死を乗り越えることができたのは、音楽があったから。
今度は自分の歌が被災者の力になるよう願う。
遠藤恵里さん(20)。
緊急時避難準備区域になった南相馬市原町区で暮らし、
震災の時は地元の高校を卒業したばかりだった。
震災翌日、東京電力福島第1原発が爆発する音を聞いた。
家族4人で県内の親類や知人の家を転々としていた。
親しかった高校の同級生2人を津波で失った。
約1ヵ月後、父の仕事の都合でふるさとに戻った。
もともと、春から仙台市の音楽系専門学校に進むと決めていが、
「すぐにでも東京に出たい」と考えを変えた。
「時間が経つにつれ、震災が忘れられてしまう。
一日でも早く歌手になって、被災者を歌で癒せれば」との思いから。
所属していた地元の少女合唱団「MJCアンサンブル」に残り、活動を続けた。
MJCは震災でメンバーが散り散りになりながら全国コンクールに出場。
昨年10月には、F1日本グランプリ決勝で君が代を歌った。
この姿を音楽事務所の目に留まった。
昨年12月に上京し、ファミリーレストランなどでアルバイトをしながらレッスンに励んだ。
今年6月からは連日、東京・渋谷で路上ライブを続けている。
「福島から避難している人が声をかけてくれることもある」と言う。
8月8日に発売されたデビューCDのタイトルは「P r a y」(祈る)。
震災後にできたMJCのオリジナル曲。
「いつか流した涙 次の道に変えてゆきたい」。
歌詞には、試練を乗り越えようとする若者の心情が表現されている。
「自分と重なる。震災後の色々なことを思い出すが、前向きな気持ちになれる」
遠藤さんは「震災で心に傷が残る人がたくさんいる。
ひとりでも多くの人の心に響けばいい」と話す。
問い合わせは、つばさレコーズ(03・5459・0794)。
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