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山親爺@Black-Bearが、日々の活動と体験雑学を綴っていす。
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  「鈴木 弘子 さん(48)」


 長い茶色の髪をかき上げながら、
「たまたま自分の年齢を忘れてしまう」。
競技人口8千万人の中から45人選ぶ狭き門を突破した。
米国の国籍をまもなく取得し、6月からフィンランドで開かれる
世界選手権に出場する。

 守備選手をブロックする攻撃ライン。
身長173㌢、体重65㌔と小柄だが、100㌔超の選手とぶつかっても
「早さと技術で勝てる」と語る。

 東京のスポーツジムで働いていた30歳のころ、国内のクラブチームに誘われた。
学生時代はシンクロナイズド・スイミング一筋。
「初めて見たアメフットの試合が、自分が出た試合」と言うほどだったが、
役割を分担して勝利をつかむ魅力に取りつかれた。

 2000年に米国プロリーダの入団テストに日本選手で初めて合格。
現在はロサンゼルスのチームに所属する。
プロといっても1試合の給料は100~300㌦(約9900~3万円)。
試合がないときは栄養補助食品の販売などで生計を立ててきた。
 
 試合に常時出場するメンバーでは最年長。
体はあざだらけで、胸の骨が折れたこともある。
でも「年々成長していると思う」。
栄養学を勉強し、昨秋からは筋力トレーニングの量を増やした。

 愛称は「ベティ」。
タイプの男性は「毎晩、飲みにつきあってくれる人かな」。
酒もやめられない。

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  ジャンプ女子「高梨 沙羅さん(16)」

  「今までまったく泳げなかったけれど、
(シドニー五輪競泳の銅メダリスト)田中雅美さんに教えてもらったら、
25㍍泳げるようになりました」

 152㌢小さな体から繰り出す大アーチで、
昨季は何度も表彰台の頂点に立った。
ジャンプの日本勢として初めてW杯の総合王者となり、
世界選手権(2月・イタリア)では混合団体で金メダル、個人で銀メダルを獲得した。
一躍五輪のメダル候補となった16歳に慢心はない。
五輪まで着実に足場を固めていくつもりだ。

 「今期の目標はしっかりと飛型点を出すこと。
良い内容のジャンプを飛び飛型点が上がれば、自然と良い結果もついてくる」

 昨季までは、ライバルのサラ・ヘンドリクソン(米国)に、
着地で入れるテレマーク姿勢など飛型点の差で劣ることが多かった。
反省を生かし、今オフは着地時の動きの修正に取り組み、5月4日に飛び始めた。

 「今まで後ろに重心があり、スピードに耐えられず、しゃがんでしまう感じ。
その意識を変え、しっかり重心を前に置くトレーニングをしてきた。
(今季の)1本目はしっかり入れることができた」

 昨季から指導を受ける個人トレーナーの下、助走からの飛び出しと空中姿勢
、テレマークの3局面に分けて練習。
着地の精度を高める努力は欠かせない。

 「何回もテレマークのイメージを繰り返した。
(体を)支えるためには腹筋をしっかり使わないといけない。
昨季に比べて、かなり腹筋がついたと思う。脚も体重を支える力がついてきた」

 栄養士のアドバイスを受け、体脂肪率が下がり、体重管理の悩みも減った。
 「昨季や一昨年は大会前に、体重を落として、
そのストレスでまた食べて、みたいなことがあった。
栄養指導を受けてから、うまくいくようになり、ストレスがなくなった」

 5月から6月4日まで秋田県内で2回の合宿を行い、ジャンプ台での練習に取り組んだ。
表情は明るく、充実感も感じられる。

 「テレマークが入る頻度に上がっている。今季の最初の大会は(高い)飛型点も出したい。
夏の初戦がとても楽しみ」  北海道新聞記事

    
  優勝した高梨沙羅(中央)、2位の伊藤有希(左)、
  3位の渡瀬あゆみ  

「高梨沙羅 2連覇」2013年7月
 
 来年2月のソチ五輪に向け、今季の国内開幕戦となる大会が
北海道士別市の朝日三望シャンツェ(HS 68㍍)であり、
女子は昨年のワールドカップ(W杯)で総合優勝した高梨沙羅(クラレ)が
59・5㍍、61・5㍍を飛んで228・9点で2連覇を果たした。
2位は今季から土屋ホームに入社した伊藤有希。

 短いオフを終えて迎える開幕戦は、誰でも気持ちが高ぶるもの。
昨季のW杯総合王者、高梨でも同じ。
「初戦とあって楽しみにしていた。2回目は気合が入って突っ込みすぎた」。
ただ一人、60㍍台となる61・5㍍飛んだジャンプをそう振り返った。
それでも「課題のテレマークは入ったので満足のいく大会になったと思う」。

 女子ジャンプが始めて採用されるソチ五輪では金メダルの期待がかかる。
残りは7ヵ月を切った。
「時間は十分ある。まだまだ未熟ですし、技術も高いものを持っていない。
もっと精度や安定性を上げていきたい」。
順調なスタートを切った16歳が誓った。

「高梨のコーチが決まる」

 女子ジャンプの先駆者で、全日本女子代表チームの山田いずみコーチ(34)が
高梨の個人コーチに7月1日付で就任したと、14日に発表された。


 

  「高梨141㍍ 逆転V」2013年8月6日

 札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会(=HS134㍍、K点120㍍)で行われた
女子ジャンプで1回目2位の高梨沙羅が2回目に141㍍を飛んで合計257・0と逆転し、
3年ぶり2度目の優勝を果たした。

 高梨の141㍍は2011年に自ら記録した女子ジャンプ台記録と並んだが、
今回は着地で両手をつき、転倒扱いとなったため、最長記録にはならない。
1回目トップだった伊藤有希が2位、茂野美咲が3位だった。

 青年は42歳の岡部が1回目に最長不倒の136㍍を飛ぶなど、
合計265・0で9年ぶりの2度目の優勝。

 「復調の女王 爽快」
 ぐんぐん伸びて、K点超えてもまだ落ちない。
たどり着いた先は141㍍。
観客をどよめかせる大ジャンプで逆転優勝を決めた高梨は
「空中で異次元のところに飛んで行けたのは格別。爽快にさせてくれるジャンプ」と
満面の笑みを見せた。

 前日の大会で優勝を逃した後、父の寛也コーチと山田コーチから
「飛び出しで体が突っ込んでいる。もう少し高く飛びだそう」と助言を受けた。
1回目は修正できず126・5㍍で2位。
2回目は「もやもやしても仕方ない。楽しもう」と気持ちを切り替えた。

 好調時の高い飛び出しが戻り、飛距離が伸びた。
ジャンプ台のコーチングボックスにいた山田コーチは「すごく高さがあったし、速かった」。
着地では両手をついてテレマークは入らなかったが、ぎりぎりまで飛行姿勢を維持した。
「途中でやめずに最後まで飛んでやるという気持ちが出ていた」と山田コーチ。
前日の悔しさともやもやを持ち味の大アーチで吹き飛ばした。

 全日本の小川チーフコーチは「何もロスなく飛び出せた。完璧」と眼を細めた。
7日に海外遠征出発を控えた16歳は「久しぶりに納得のジャンプ。良い形で終えられた」。
競技を始めたころ「空中で鳥になったような感覚が楽しい」と語っていたエースが
原点に戻り、復調のきっかけをつかんだ。

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  開発した極地用の「ポーラーダウンパーカ(3万6千円)。
 質はもちろん、安さにこだわった。
 
「岩野 祥子さん(38)」モンベル広報部員


 登山家の辰野勇氏が創業したモンベルの社員には、アウトドア愛好家が多い。
南極に計853日滞在した人は、ほかにいない。

 京都大学院で測地学を学んだ。
専攻は、地球全体を研究する地球惑星科学。

  2000年11月から02年3月まで、第42次南極観測隊に参加。
モンベル入社後も、06年11月から08年3月までの第48次観測隊に。
どちらも急きょの欠員で声がかかった。
地穀変動の観測を担当。経験した最低気温は零下61・7度。
澄んだ空気によって青やピンク、オレンジにうつろう圧倒的な色彩の空に、心を奪われた。

  そんな南極の経験を生かして提案したのが、
12年に発売した極地用防寒着の上下「ポーラーダウンパーカ/ビブ」。

 最初に南極を訪れたとき、観測隊に女性が加わったのはまだ2度目。
隊から支給された防寒着は、男性向けで大きく重く動きずらかった。
「いざというとき、思うように動けなかったら・・・」。
不安を感じた。
「モンベルなら、同じ値段で良いものをつくれるはずでは」。
そんな思いで入社以来ずっと提案し続けていた。

 極地の強風で飛ばないよう、小物は身につけていたい。
カメラや衛星電話の予備バッテリーなど、低温に弱い機材を入れる大きな内ポケットもほしい。
野外作業中、針金が引っかからない丈夫な素材も。

 開発したパーカでは、表地には耐摩耗性がある素材を厚めに使った。
そして内外10個のポケット、左肩にペンホルダーもつく。
ジッパーは、凍傷防止のために樹脂製。

 小さいときから山登りが好きだった。
両親と、よく山に行った。
中学・高校時代は、希望者が登山する行事に参加。
本格的な装備を買って、訓練のために学校の周りを背負って歩いた。
「女子校だったですけどね」。
大学でも、山の散策サークルとスキー部を楽しんだ。

 社会に出て、モンベルに入るのは自然な流れだった。
昔から製品を使っていて、10年近く愛用した長袖Tシャツははじめての南極に持っていった。
入社後も自分が「欲しい」ものをとにかく提案。
約6年で提案した商品や修正点は99件にのぼる。

 ふだんは冒険を後押しする仕事をしている。
会社が装備や資金を提供す「チャレンジ支援」や、サバイバル技術を伝える「冒険塾」など、
会長の辰野氏の発案を形にしてきた。
冒険という挑戦を大事にする社会にしたいと考えている。

 東日本大震災で、新しい思いも加わった。
寝袋などを提供しようと発生後に被災地に入った。
寝袋があるだけで、心身の負担がかなり軽くなる。
でも、慣れないためか、使ってくれる被災者は少なかった。
「アウトドアが浸透していれば、より多くの人の大変さが和らいだのでは」。
悔しさがあった。

 だから、少しでも関心を寄せる人には、積極的に声をかける。
最近も初心者の女性を誘いシーカヤックに。
「アウトドアの経験やグッツは、災害対策にもなる。
いろいろな人に楽しさを紹介したい」 貫く「体験主義」 何事も体験しないと気が済まない。
 
 2010年春、思い立って北極に行った。
講演で南極の話をするとき、比べやすい北極を引き合いに出すことが多かった。
でも「見てないことは話しづらくて」。
しばらく滞在して現地の人とも交流。
ようやく北極行きを相談されたときに「行けば何とかなるよ」と
自信を持って進められるようになった。
「何でもメモに」 手のひらサイズのノートを常に持ち歩く。
読みたい本、話した内容、週末の登山の装備リスト・・・。
とにかく何でもメモする。
南極でも持ち歩いていた。
「ない生活は考えられない」 朝日新聞
 
 いわの・さちこ
 
愛知県豊田市出身。
 2005年にモンベルに入社。
入社後に声がかかった2度目の南極行きは「さすがに悩んだ」が、
辰野勇会長が背中を押してくれた。
退社し、帰国後復職。
 
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  札幌・函館から「臨時特急を運行」JR北海道


 JR北海道は6月12日、普段は特急列車が走らないニセコや周辺地域に人を呼び込もうと
8月10日~25日、札幌、函館をそれぞれ出発する臨時特急「ワッカ」と「ヌプリ」を
毎日1往復ずつ運行すると発表した。
 
3年後の北海道新幹線新函館(仮称)開業もにらみ、「ニセコ方面への乗客の流れを増やし、
観光誘致につなげたい」(小池明夫社長)考えだ。

 「ヌプリ」は昨年、函館―ニセコ―札幌間で運行したが、
今年は函館―ニセコ―小樽間に変更。
新たに企画した「ワッカ」も札幌―ニセコ―長万部間とし、
都市部からニセコに向うのに利便性の良いダイヤを設定する。

 いずれも4両編成の専用車で、各車両に1ヵ所ずつニセコの四季をイメージした
記念撮影ブースを設置。
地元ガイドなどスタッフが乗車し、クイズを交えるなどしながら車窓の風景を解説する。
また、停車駅ではご当地キャラの着ぐるみの出迎えや振る舞い酒などの演出も行うほか、
ニセコ駅発の周遊観光バスも運行する。

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  進水式が行われ瀬谷丸から、
 餅がまかれた。
 
「友情の瀬谷丸」 被災の海に

  「漁がしてぇんだ」― 。
そんな被災地の漁師の叫びに心揺さぶられ、
横浜市瀬谷区の有志たちが漁船を送ろうと募金活動に駆け回った。
集まった約3600万円を元に19㌧の漁船「瀬谷丸」が完成し、6月15日午前、
岩手県大槌町で進水式があった。

 午前10時すぎ、大漁旗をまとった長さ25㍍の定置網漁船が「祝い船」の曲に合わせて
お目見えすると、所有者となる新おおつち漁協の関係者や、
瀬田区民約140人が一斉に手を振って迎えた。
自らも募金に協力した同区の寝具店経営小川春子さん(63)は「思いが実った。
この船でいっぱいとってきた魚が食べたい」」と話した。

 東日本大震災の直後、同区で板金業を営む露木晴雄さん(33)が炊き出しの
ボランティアで行った大槌町で、漁師の佐藤正さん(56)に出会ったのがきっかけ。
何度も訪れるうちに親しくなり、半年が過ぎた2011年10月、酒を酌み交わしていたとき、
佐藤さんが涙を流して言った。
「船が欲しい。漁がしてぇ。海に出て―んだ」

 佐藤さんの暮らす安渡(あんど)地区は、家や船を失った漁師がたくさんいた。
露木さんはとっさに「瀬谷から船を送る ! 」と明言した。
 
 露木さんの呼びかけで、瀬谷区の印刷業、医師、税理士など業種もバラバラな
男衆40人が結集。
「三陸沖に瀬谷丸を!」という団体をつくった。

 昨年3月から、「3ヵ月で3千万円」と目標を定め、仕事の合間に募金活動に没頭。
瀬谷区では、毎日のように手製の募金箱を持つ男たちの声が響いた。
 3625万円が集まり、熊本県天草市で今年3月から建造が進んでいた。

 佐藤さんはこの日、「本当に形になって驚いた。助かります。最高ですね」と涙目で
瀬谷丸を見つめていた。

 朝日新聞 「声」 2013年6月17日

  瀬谷丸 震災復興へ船出祝う
      会社員 小松 洋 (横浜市瀬谷区 46)

 東日本大震災で被災した東北に漁船を贈ろうと、横浜市瀬谷区のグループが中心となって
募金活動を行った青果がこのほど実り、岩手県大槌町で、
完成した漁船「瀬谷丸」の進水式がありました。
秋には漁に出るそうです。
国などの補助金を除く建造費用として集まった約3600万円のごく一部ですが、
募金に応じた住民の一人として、とてもうれしく思いました。

 「三陸沖に瀬谷丸を!」を合い言葉に募金活動が展開された昨年春には、
区役所をはじめ、コンビニ、スーパー、ファミレス、商店街など、区内のあちこちで
キャッチフレーズを目にしました。
私もそうですが、被災地のために何かしたいと思っていてもなかなかきっかけがつかめない、
どうしたらいいか分からない、という人が大勢います。
そうした人々の潜在的支援をまとめあげた実行委員会の方々の手腕は、
被災地の力のなりたいという熱意無くしてあり得ないことでしょう。

 本当にご苦労さまでした。
 さあ、みんなの気持ちを乗せて、被災地のために活躍してくれ。
がんばれ瀬谷丸!

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